キーフ・ハートリー [ 注釈 1] (Keef Hartley 、1944年 4月8日 - 2011年 11月26日 )[ 1] は、イングランド のドラマー、バンドリーダー。
ジョン・メイオール と様々な仕事をした[ 1] 後、キーフ・ハートリー・バンドを率いて活動し、1969年8月のウッドストック・フェスティバル にも出演した[ 2] 。後にドッグ・ソルジャーを結成した。
略歴
ハートリーはランカシャー州 プレストン 北西部のプランジントンで生まれた[ 3] 。彼は、フィル・コリンズ にルーディメンツ を教えたロイド・ライアンの下でドラムを学んだ[ 4] 。
彼のキャリアは、リバプール を拠点とするロリー・ストーム ・アンド・ザ・ハリケーンズに、ビートルズ に加入したリンゴ・スター の後任に迎えられて始まった[ 3] 。1964年 にアート・ウッド が率いるR&Bバンドのジ・アートウッズ でウッドやジョン・ロード らと活動した。その後、ジョン・メイオール のドラマー[ 3] として名声を博した。メイオールの1967年の「ソロ」レコード『ブルース・アローン 』に、メイオール以外の唯一のミュージシャンとして参加した[ 5] 。
彼はメイオールに自分のグループを結成するよう勧められていた。そこでキーフ・ハートリー・(ビッグ)・バンドを結成し、ジャズ 、ブルース 、ロックンロール の要素をミックスして、『ハーフブリッド』(1969年)、『戦闘』(1969年)など5枚のアルバムを発表した。「Vancouver Sun」紙の評論家は『戦闘』を「驚異的な妙技の展示」と評した[ 6] 。1969年8月にウッドストック・フェスティバル に出演した[ 3] が、その演奏が公式アルバム(2019年以前)にも映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間 』のサウンドトラックにも含まれなかった唯一のアーティストとなった。
ハートリーの「発砲」のモックアップは、アルバム『ハーフブリッド』のオープニング曲「Sacked」で聞かれた[ 3] 。同アルバムのバンドはミラー・アンダーソン (ギター、ボーカル)、ゲイリー・セイン (ベース、後にユーライア・ヒープ )、ピーター・ダインズ(オルガン)、イアン・クルックシャンク(スピット・ジェームス名義、ギター)[ 3] [ 7] だった。その後、ハートリーの流動的なラインナップに加わったメンバーには、ミック・ウィーヴァー(別名ウィンダー・K・フロッグ、オルガン)、ヘンリー・ロウサー (1941年7月11日生、イギリス・レスター出身、トランペット/ヴァイオリン)、ジミー・ジュエル(サクソフォーン)、ジョニー・アーモンド(フルート)[ 8] 、ジョン・ハイズマン 、ハリー・ベケット らがいる[ 3] 。彼はしばしばアメリカ・インディアンの格好をし、時には完全なヘッドドレスを着用しウォーペイントをして、小さなクラブ・シーンにおける人気のアトラクションとなった[ 3] 。1969年のアルバム『戦闘』は彼のクラブでの評判をさらに高めたが、チャートにおける成功はまだつかめずにいた。サード・アルバムまでにロウザーとジュエルは脱退した[ 3] 。
その後、ソロ・アルバム 『ランカシャー・ハスラー』(1973年) を発表。ミラー・アンダーソン (ギター)、ポール・ブリス (ベース)、デレク・グリフィス (ギター)、メル・シンプソン (キーボード) とドッグ・ソルジャー[ 9] を結成し、1975年に同名アルバム[ 10] をリリース[ 注釈 2] 。
2007年、ゴーストライターによる自伝"Halfbreed (A Rock and Roll Journey That Happened Against All the Odds)"を出版[ 11] 。プレストンで育った人生と、キーフ・ハートリー・バンドのウッドストック・フェスティバル出演時の話を含むドラマーおよびバンドリーダーとしてのキャリアについて書いている。
2011年11月26日、プレストン北部のフルウッドにあるロイヤル・プレストン病院にて、手術の合併症により[ 12] 67歳で死亡した[ 1] [ 2] 。
ディスコグラフィ
ソロ・アルバム
『ランカシャー・ハスラー』 - Lancashire Hustler (1973年)
キーフ・ハートリー・バンド
『ハーフブリッド』 - Halfbreed (1969年)
『戦闘』 - The Battle of North West Six (1969年)
『ザ・タイム・イズ・ニアー』 - The Time Is Near (August 1970年) ※全英 41位[ 13]
『オーヴァードッグ』 - Overdog (April 1971年)
『リトル・ビッグ・バンド』 - Little Big Band (1971年) ※マーキー・クラブでのライブ
『72人目の勇者』 - Seventy-Second Brave (1972年)
『ノット・フーリッシュ・ノット・ワイズ』 - Not Foolish Not Wise (1999年) ※1968年–1972年スタジオ+ライブ録音
ドッグ・ソルジャー
『ドッグ・ソルジャー登場』 - Dog Soldier (1975年)
参加アルバム
ジョン・メイオール
『革命』 - Crusade (1967年)
『ブルース・アローン』 - The Blues Alone (1967年)
『ブルース・バンドの日記 VOL.1』 - The Diary of a Band - Volume One (1968年) ※ライブ
『ブルース・バンドの日記 VOL.2』 - The Diary of a Band - Volume Two (1968年) ※ライブ
Live in Europe (1971年)
『バック・トゥ・ザ・ルーツ』 - Back to the Roots (1971年) ※数曲のみ
『ムーヴィング・オン』 - Moving On (1973年) ※ライブ
『テン・イヤーズ・アー・ゴーン』 - Ten Years Are Gone (1973年) ※スタジオ+ライブ
ヴィネガー・ジョー
『ロックン・ロール・ジプシーズ』 - Rock'n Roll Gypsies (1972年)
書籍
脚注
注釈
^ 「キーフ・ハートレー 」「キーフ・ハートレイ 」の表記もある。
^ 2011年初頭にエソテリック ・レーベルからCDでリマスター盤がリリースされた。
出典
^ a b c Thedeadrockstarsclub.com Archived 18 August 2015 at the Wayback Machine .
^ a b “Preston drummer who played at Woodstock dies aged 67” . Lancashire Evening Post . (1 December 2011). オリジナル の5 December 2011時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111205073239/http://www.lep.co.uk/lifestyle/culture/music/preston_drummer_who_played_at_woodstock_dies_aged_67_1_4020224
^ a b c d e f g h i Colin Larkin , ed (1992). The Guinness Encyclopedia of Popular Music (First ed.). Guinness Publishing . pp. 1098/9. ISBN 0-85112-939-0
^ “Collins' drum teacher wows the crowds ”. This is Wiltshire.co.uk (23 October 2008). 10 August 2014 閲覧。
^ Lee Zimmerman, "Happy Birthday, John Mayall!" New Times Broward-Palm Beach , 29 November 2011.
^ Al Rudis, "The Best of the British" , Vancouver Sun , 25 May 1970, p. 95
^ “Discogs ”. 2024年5月25日 閲覧。
^ “Discogs ”. 2024年5月25日 閲覧。
^ “Discogs ”. 2024年5月25日 閲覧。
^ “Discogs ”. 2024年5月25日 閲覧。
^ Gary Graff, "Woodstock at 40: Where are they now" , Billboard , 30 July 2009.
^ King, Stevie (2015年). “British Blues – Classic Albums – Halfbreed ”. Earlyblues.org . 20 November 2022 閲覧。
^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 245. ISBN 978-1-904994-10-7
外部リンク