キャシディー・ライリー
キャシディー・ライリー(Cassidy Reilly、1976年11月21日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ルイジアナ州ウェストモンロー出身。 来歴6歳のときにアブドーラ・ザ・ブッチャーの写真を見たことや、8歳の時に母親と叔母にクリスマスプレゼントでレスリングのタイツをもらったことでプロレスに興味を持ち始め、ライリーはダラスでロリー・デュード、テリー・テイラー、トミー・ロジャースの元で8ヶ月トレーニングを積み、1995年にテネシー州ブライトンでデビューして北部のインディー団体で活動をするようになる。1999年にはNWAミシシッピやナッシュビルに拠点を置くミュージック・シティ・レスリング(Music City Wrestling)に参戦している。MCWではエア・パリスと共にMCWタッグチーム王座を獲得している。しかしパリスはWCWと契約してしまったためにチームは解散となる。その後はバート・プレンティスのUSAチャンピオンシップ・レスリングで活動をし、2000年に入るとWCWプレンティスと共にナッシュビルでWCWのレスラーを育成をしつつレスラーとして活動するようになり、WCWがWWFに買収されるまでレスラーとトレーナーを続けていた。 WCW離脱後は新たにチェイス・スティーブンスとタッグを組み、ホットショッツ(Hotshots)を結成、2002年7月にTNAとフルタイムでの契約を交わし、アメリカ・モスト・ウォンテッドと抗争を開始するも10月にリング外でのトラブルを起こしたために一時的にTNAから離脱してしまう。2004年に復帰し、レイヴェンと抗争をした後にダスティ・ローデスとタッグを組むようになるもダスティがTNAを離脱したためにシングルで活動するようになる。 2005年7月上旬になるとアビスとの試合後にリンチをされているとレイヴェンが救出にくるもののアビスに返り討ちにされてしまう。レイヴェンと共闘体制をとるようになり、中旬におこなれたNo Surrenderではレイヴェンの服装(グランジスタイル)で観客席に登場している。PPV終了後はジェフ・ジャレットとライノに狙いを定めて行動していた。8月のSacrificeや9月のUnbreakableではレイヴェンのセコンドとして登場している。レイヴェンがラリー・ズビスコと抗争を開始したためにレイヴェンを援護する意味で抗争へ参加するものの2007年初頭にTNAから離脱している。 TNA離脱後はWWEのECWにジョバーとして参戦、マーカス・コー・ヴァンと対戦している。その後WWEとディベロップメント契約を交わし、下部組織であるオハイオ・バレー・レスリング(Ohio Valley Wrestking)でキャシディ(Kassidy)・ライリーのリングネームで活動するようになる。弟のK.C.ジェームズとのタッグで1度はタッグ王座を獲得するものの特に活躍をするわけではなく、2008年2月に解雇されている。 得意技獲得タイトル
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