カルロス・ルイーズ (野球)
カルロス・ホアキン・ルイーズ(Carlos Joaquín Ruiz, 1979年1月22日 - )は、パナマ共和国チリキ県ダビッド出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。愛称はチューチ[1]。 日本語表記ではルイス、ルイズなどもある。 経歴プロ入りとフィリーズ時代1998年12月4日にフィラデルフィア・フィリーズとわずか8000ドルで契約し、19歳で入団した。それまでにフィリーズから契約を2度断られていた。当初は二塁手であったが、ほどなくして捕手への転向を言い渡された[2]。 2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のパナマ代表に選出された[3]。シーズンでは5月6日にメジャーデビューを果たす。1年目はマイク・リーバーサル、サル・ファサーノ、クリス・コーストと、正捕手が固定されない中で、その中で1番少ない27試合に出場した。 2007年からは正捕手として起用された。 2008年のワールドシリーズでは、全5試合にフル出場して、第3戦でサヨナラ安打を打つなど、16打数6安打(打率.375)・3打点・4四球・1盗塁と活躍して、ワールドシリーズ優勝に貢献した。 2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCのパナマ代表に選出され[4]、2大会連続2度目の選出を果たした。2009年のワールドシリーズでは、全6試合に出場し、18打数6安打(打率.333)・2打点・5四球と活躍したが、2連覇には届かなかった。 2010年は、ロイ・ハラデイが5月29日にフロリダ・マーリンズ戦で完全試合、10月6日にシンシナティ・レッズとのディビジョン・シリーズでノーヒットノーランを記録した際に捕手を務めた。自己最高の打率.302を記録した[5]。 2011年は、打率283、6本塁打、40打点を記録[5]し、打率はチームでハンター・ペンスの次に良い打率だった[6]。 2012年には、6月終了の時点で打率が.364と好調で、オールスターゲームにも出場した。8月4日に足底腱膜炎を発症して故障者リスト入りし、長期離脱となった[7][5]が、自身2度目の.300以上となる.325・16本塁打・68打点という成績を記録し、OPS0.935は、350打数以上の打者としてはリーグ6位[7]の高水準で、ライアン・ハワードやチェイス・アトリーら主力選手が満足に稼働出来ない中、中軸打者の1人として打線を牽引した。オフの11月に母国パナマで開催された第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)予選のパナマ代表に選出され[8]、3大会連続3度目の選出を果たした。10月29日には翌年の500万ドルの契約オプションが行使されたが、11月27日に禁止薬物のアンフェタミンに陽性反応を示し、翌年の開幕から25試合の出場停止処分を課された[9]。しかし、この薬物はアデラルという物で、アメリカでは標準で入手出来る軽微な薬物であり、打力開眼とは無関係であった[7]。 2013年は、前述の薬物による出場停止やハムストリング痛による離脱の影響[10]で、出場機会が減少。1年目以来7年ぶりの100試合未満となる92試合の出場に留まり、打率.268・5本塁打・37打点・OPS0.688という低水準な打撃成績に終わった[5]。オフにFAとなったが、11月18日にフィリーズと3年2600万ドルの契約に合意した[11]。 2014年は頭部に死球を受け、7月を欠場した[12]ため、110試合の出場で打率.252・6本塁打・31打点・4盗塁に留まった[5]。 2015年6月14日、コール・ハメルズと組んだ通算200試合目のバッテリーとして出場を果たした[13]。この年は86試合に出場したが、打率.211と2本塁打はいずれも自己最低の数値だった[5]。 2016年はフィリーズでは48試合に出場し、打率.261・3本塁打・12打点・3盗塁という成績を記録[5]。 ドジャース時代2016年8月25日にA.J.エリス、トミー・バーグジャンズ、後日発表選手とのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[14]。ドジャース加入後は14試合に出場し、打率.278・3打点を記録。守備面では6回中3回を刺し、盗塁阻止率50%を記録した。フィリーズとの合算では、62試合で打率.264・3本塁打・15打点・3盗塁、リーグ1位の盗塁阻止率42%という成績を記録した[5]。 マリナーズ時代2016年11月7日にビダル・ヌーニョとのトレードで、シアトル・マリナーズへ移籍した[15]。 マリナーズ退団後2018年は所属球団なく、パナマ国内リーグでプレー。 選手としての特徴
詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
代表歴脚注
関連項目
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia