カリチク川
カリチク川(カリチクがわ、ウクライナ語: Кальчик)は、ウクライナ・ドネツィク州を流れる、カリミウス川右岸の支流である。カリチク川はおそらく、史料にみられるカルカ川(Калка)と同じ川であると推定されている。 地理・生物カリチク川の源流はドネツィク州の、ザポリージャ州との境界線に接するカリチニヴカ村(uk)である。河口はマリウポリ市にあり、カリミウス川の河口(=黒海)から6kmの地点に流入する。カリチク川の長さは88km、流域面積1263km2、水量30m3/秒である[1]。また、付近のベルダ川(uk)とカリチク川の流域との間は、ウクライナ草原自然保護区(uk)の一部となっており、石造りの陵墓(uk)という名の禁漁区がある[注 1]。 カリチク川にはヒゴイ、ソウギョ、ハクレン等が生息している[2]。 環境上流・中流は農業地帯からの塩害で、下流はマリウボリからの生活排水によって汚染されている。水中には石油成分や不揮発性のフェノールの増加が見受けられる[1]。また水源から河口まで鉱化作用が増加している。河口近くの鉱化作用は2.5g/ℓに及ぶ[1]。 由来マックス・ファスマーは、「カリチク(Кальчик)という名はスラヴ語派の語根・кал(泥)に由来すると推測されるが、インド・ヨーロッパ語族の*kel- // *kal-(黒い)に基づけば、スキタイ語を起源とする可能性をも除外するわけにはいかない」と論じた。しかし「黒い」(ウクライナ語: Чорний)という言葉は他の語幹(タジク語: Сиёҳ)から生じたもので、イラン語群ではкалは錫を意味する(タジク語: Қалъ、オセット語: Къала)。アレクサンドル・シャポシュニコフは、カリチクはスラヴ祖語の*kalъ(泥)から派生したとみなしている[3]。 (注:キリル文字「кал」はラテン文字に転写すると「kal」に相当する。) カルカ川カルカという名で記述された出来事には、以下のものがある。
この文献上のカルカはカルチク川のことであり[5]、カルカ河畔の戦いはカルチク川の上流、石造りの陵墓(上記の禁漁区一帯)付近で行われたという見解がある。この見解はK.クドリャショフ[6]、スヴェトラナ・プレトニョーヴァ(ru)によって支持されている。一方、たとえばウラジーミル・ショヴクンは、この見解に疑問を呈している。 また、N.ブリャンデルベルグ、E.トレフェンリエフによって、カルチク川岸で考古学的発掘調査が行われたが、カルカ河畔の戦いの場を明らかにする、新しい証拠はもたらされなかった[7]。 脚注注釈出典
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