オラフ・トーン
オラフ・トーン(Olaf Thon, 1966年5月1日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)・ゲルゼンキルヒェン出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはミッドフィルダー、ディフェンダー(リベロ)。 来歴地元の有力クラブであるシャルケ04の下部組織を経て、1983年に16歳でプロデビュー。当時ブンデスリーガ1部と2部を行き来していたクラブにあって、10代にして主力選手として活躍。身長170 cmと小柄ながら、攻撃的MFとして優れた状況判断力と豊富な運動量でチームを牽引した。 程なく西ドイツ代表(当時)にも選出され、1984年12月16日の対マルタ戦で代表デビューを果たした[1]。1986年のワールドカップメキシコ大会では出場機会はなかったが[1]、準優勝を果たした、地元開催となった1988年のUEFA欧州選手権に臨む代表メンバーにも名を連ね、グループリーグのデンマーク戦でゴールを挙げている[1]。 1988年にバイエルン・ミュンヘンに移籍。ゲームメーカーとして攻撃陣の中核を担い、移籍初年度から2シーズン連続でリーグ優勝を成し遂げた。1990年にはワールドカップイタリア大会の代表メンバーに選ばれ、自身は2試合の出場に留まったものの同国の3度目のワールドカップ優勝を経験した[1]。なお準決勝のイングランド戦ではPK戦の4人目のキッカーとして登場。これを確実に決め2大会連続の決勝進出に貢献している。 1994年からは故郷に戻りシャルケ04に復帰。この頃からリベロにポジション転向し、積極果敢な守備と前線への正確なパス供給、好機時の鋭い攻め上がりでチームを牽引した。1997年にはUEFAカップ準決勝のCDテネリフェ戦の2ndレグでは2アシストを決め[2]、決勝進出に貢献、決勝のインテル戦でも2戦共にフル出場、存在なくして優勝は語れない活躍でインテルを破り[3]、クラブに初のヨーロッパタイトルをもたらした。の獲得に貢献した。約4年間代表からは遠ざかっていたが、シャルケでの活躍、マティアス・ザマーの怪我によりドイツ代表に復帰[4]、1997年9月10日、ワールドカップ予選のアルメニア戦で先発フル出場した[1]。1998年にはワールドカップフランス大会において自身3度目となる代表選出を受け、リベロとしてグループリーグの3試合に出場、第2戦のユーゴスラビア戦ではオリバー・ビアホフのゴールをアシストした[1]、しかし、決勝トーナメントではローター・マテウスにポジションを奪われた。 2002年に36歳で引退。翌2003年1月にシャルケのホームスタジアム、アレーナ・アウフシャルケで行われた引退試合には6万席以上の客席が満員となるほどのファンが詰めかけた。ブンデスリーガ1部では通算443試合83ゴールの成績を残した[5]。 引退後はシャルケ04の監査役を経て、2010-2011シーズンにノルトライン=ヴェストファーレン州リーグのヒュルス (VfB Hüls) の監督を務めた。 代表歴出場大会試合数
獲得タイトル
脚注
外部リンク
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