シュテファン・ロイター
シュテファン・ロイター(Stefan Reuter, 1966年10月16日 -)は、ドイツの元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー(右サイドバック、リベロ)、ミッドフィールダー(右サイドハーフ)[4]。 経歴クラブロイターは地元のサッカークラブ・TSV1860ディンケルスビュールの下部組織で6歳の時にサッカーを始めた[5]。8歳までは陸上競技の選手としても活躍し[5][6]、走幅跳とクロスカントリーの選手としてバイエルン州ユース選手権で優勝した[6]。1980年にどちらのスポーツを専門にするかの選択を迫られ、サッカーを選んだ[5]。また100メートル走を11.2秒で走る俊足を持ち合わせていたことから「ターボ」の愛称で呼ばれた[6]。 1982年に1.FCニュルンベルクの下部組織へ入団すると、1984年にトップチームに昇格し同年10月6日に行われたブンデスリーガ2部のキッカーズ・オッフェンバッハ戦でデビュー[7]。以降リベロとして起用されると、デビュー後チームの成績が向上し、1部昇格を果たした[5]。1987-88シーズンにはリーグ5位、翌シーズンのUEFAカップ出場権獲得に貢献した[5]。 1988年にチームメイトのローランㇳ・グラハマーと共にバイエルン・ミュンヘンへ移籍し、1988-89シーズンと1989-90シーズンのブンデスリーガ連覇に貢献するなど[8]リーグ通算95試合に出場し4得点を記録した。1991年にイタリアのユヴェントスFCへ移籍したが、持ち味を出せずに終わった[5]。この年のリーグ戦28試合、コッパ・イタリアでは8試合に出場したが、コッパイタリアでは決勝でパルマに敗れて準優勝に終わった[5]。1シーズン限りで退団し[9]、ドイツへ帰国すると1992年にボルシア・ドルトムントへ移籍した[9]。 ドルトムントでは1992年に十字靭帯断裂、2000年に軟骨の損傷という膝の怪我に見舞われたものの[10]、主力選手として1992-93シーズンと2001-02シーズンのUEFAカップ準優勝[8]、1994-95シーズンと1995-96シーズンと2001-02シーズンのブンデスリーガ優勝[8]。1996-97シーズンには、古巣ユヴェントスを破ってのUEFAチャンピオンズリーグ 1996-97優勝[5][8]。1997年のトヨタカップ優勝に貢献した[8][11]。 2004年3月に現役引退を表明[8]、同年5月15日の行われた、ボルシア・メンヒェングラートバッハとの試合に出場したのを最後に現役を離れた[5]。 ドイツ代表ドイツU-16代表、 ドイツ代表としては1987年4月17日に行われたイタリア戦に63分から出場してデビューをした[5][3]。1987年12月12日、ブラジルとの親善試合でフル代表初ゴールを決めた[5]。1988年の欧州選手権では代表から外れたが[5]、フランツ・ベッケンバウアー監督の下で右ウイングバックのポジションを獲得すると[9]、1990年にイタリアで開催された1990 FIFAワールドカップでは4試合に先発出場、準々決勝以降はトーマス・ベルトルトにポジションを譲ったものの2試合に交代出場するなど通算6試合に出場し優勝に貢献した[12]。その後も1992年にスウェーデンで開催されたUEFA EURO '92では4試合に出場し準優勝[3]、1996年にイングランドで開催されたUEFA EURO '96では4試合に出場し優勝に貢献したが[3]、1998年にフランスで開催された1998 FIFAワールドカップではグループリーグ初戦のアメリカ戦の1試合のみの出場に終わった[13]。大会終了後、ベルティ・フォクツ監督の起用法に対して「年齢的な問題ではない。彼との間に信頼関係はなく、代表を続けられない」と表明し、オラフ・トーンと共に代表を引退した[13]。ロイターは国際Aマッチ69試合に出場し2得点を記録した[3]。 引退後現役引退後の2004年7月1日から2005年1月3日までは古巣のドルトムントのフロント業務に携わっていたが、2006年1月にTSV1860ミュンヘンのスポーツディレクターに就任した[14]。在任期間中にはオーストリアのヴァルター・シャッハナーを監督に迎え、 元ドイツ代表のダニエル・ビーロフカやベンヤミン・ラウトらを獲得したが成績は低迷し[15]、2009年2月2日に解任された[16]。 2012年12月27日、FCアウクスブルクのゼネラルマネージャーに就任した[17]。契約期間は2015年6月30日までとなっていたが[17]、同年4月に契約期間を2020年まで延長したことが発表された[18]。 個人記録代表での成績
代表での得点
脚注
外部リンク
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