アナトリー・ティモシュチュク

アナトリー・ティモシュチュク
ゼニト時代のティモシュチュク (2015年)
名前
本名 アナトリー・オレクサンドロヴィチ・ティモシュチュク
Anatoliy Oleksandrovych Tymoshchuk
ラテン文字 Anatoliy Tymoshchuk
ウクライナ語 Анатолій Олександрович Тимощук
基本情報
国籍  ウクライナ
生年月日 (1979-03-30) 1979年3月30日(45歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦ルーツィク
身長 181cm
体重 74kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1997 ウクライナの旗 ヴォリン・ルーツィク 62 (8)
1997-2007 ウクライナの旗 シャフタール 227 (32)
2007-2009 ロシアの旗 ゼニト 67 (10)
2009-2013 ドイツの旗 バイエルン 86 (4)
2013-2015 ロシアの旗 ゼニト 32 (0)
2015-2016 カザフスタンの旗 カイラト 34 (1)
通算 533 (64)
代表歴
2000-2016 ウクライナの旗 ウクライナ 144 (4)
監督歴
2017- ロシアの旗 ゼニト (アシスタント)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アナトリー・オレクサンドロヴィチ・ティモシュチュクウクライナ語:Анатолій Олександрович Тимощукアナトーリイ・オレクサーンドロヴィチュ・トィモシュチュークラテン文字転写の例:Anatoliy Tymoschuk1979年3月30日 - )は、ソビエト連邦生まれのウクライナの元サッカー選手。元ウクライナ代表である。ポジションはMFティモシュクと表記されることもある。

ウクライナ国内で実施されたファン投票で、同国史上最高のサッカー選手に選出されている[1]

経歴

クラブ

1997年、18歳でFCシャフタール・ドネツクに移籍した。シャフタールでは3度のウクライナ・リーグ優勝、3度のウクライナ・カップ優勝、1度のウクライナ・スーパーカップ優勝を果たした。2007年、ユヴェントスFCセルティックFCからもオファーがあったものの、FCゼニト・サンクトペテルブルクへ4年契約で移籍した。移籍金は、旧ソ連時代を含めロシア・リーグ歴代最高の2000万ドル(約24億7000万円)である。彼はすぐにゼニトのキャプテンになり、ロシア・リーグ初優勝を果たした。2007-08シーズンのUEFAカップではビジャレアルCFバイエルン・ミュンヘンなどを破って優勝した。UEFAスーパーカップではマンチェスター・ユナイテッドを破った。

2009年2月、2009-10シーズンからバイエルン・ミュンヘンに移籍することが発表された。移籍金は1100万ユーロで3年契約。8月8日、開幕戦のTSG1899ホッフェンハイム戦でデビューした。中盤の底を務めていたマルク・ファン・ボメルに代わって80分に途中出場した。2009-10シーズン序盤戦はファン・ボメルが負傷欠場していたため、アンカーの位置で重宝されたが、中盤戦以降は4-4-2フォーメーションが採用されたために出場機会は減った。UEFAチャンピオンズリーグではグループステージ突破をかけたユヴェントス戦で駄目押しとなる4点目を決めた。決勝トーナメントではACFフィオレンティーナマンチェスター・ユナイテッドFCオリンピック・リヨンを下し、決勝でインテル・ミラノに敗れて準優勝に終わった。

2012-13シーズン終了後、契約満了のため、古巣のゼニトに復帰が決定した[2]

2015年7月6日、FCカイラトに移籍した。

FCカイラトとの契約満了で、2017年2月10日に現役引退を表明した。同年からロシアのゼニト・サンクトペテルブルクでコーチに転身し、実業家への転身も視野に入れると語る。

2022年2月24日からロシア軍によるウクライナ侵攻が始まり、同氏がロシアへ非難の声を上げず沈黙を続けて侵略者のクラブで働いていることで、ウクライナ国内外や同国関係者から非難を浴びた。

2022年3月11日、ウクライナサッカー協会は倫理とフェアプレー規定に反しウクライナ・サッカーのイメージを傷つけたとし、コーチングライセンス剥奪やウクライナ国内で獲得したタイトルやトロフィーの剥奪、ウクライナ代表チームからの除名、ウクライナ国内でのサッカーに関する活動を生涯禁じるとした。出身地もウクライナ西部ルーツィクの名誉市民の資格の剥奪を決定。ゼニトが政治的なものとしてスポーツ仲裁裁判所(CAS)で不服を申し立てる方針を示す。

代表

ウクライナ代表には2000年にデビューした。2006年のドイツW杯ではベスト8に進出した。チュニジア戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。2008年のUEFA欧州選手権は予選で敗退した。

エピソード

  • アンドレイ・ヴォロニンアンドリー・フシンは友人である[3]
  • 骨董品の収集、ワインの収集、盆栽が趣味である。ただし、ワインは自分では飲まない[3]
  • ユニフォーム交換による相手選手のユニフォームの収集に熱心であることも知られている。

個人成績

2016年11月20日時点
クラブ シーズン 国内リーグ 国内カップ 欧州カップ その他 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
FCヴォリン・ルーツィク 1995-96 10 1 1 0 0 0 - - 11 1
1996-97 38 6 2 0 0 0 - - 40 6
1997-98 14 1 2 0 0 0 - - 16 1
通算 62 8 5 0 0 0 - - 67 8
FCシャフタール・ドネツク 1997-98 9 3 0 0 0 0 - - 9 3
1998-99 18 2 3 0 2 0 - - 23 2
1999-00 23 0 3 0 2 0 - - 28 0
2000-01 25 4 5 1 11 0 - - 41 5
2001-02 26 3 7 1 6 1 - - 39 5
2002-03 30 4 6 1 4 0 - - 40 5
2003-04 29 6 6 1 6 0 - - 41 7
2004-05 25 4 5 0 10 0 1 0 41 4
2005-06 27 5 2 1 8 0 1 0 38 6
2006-07 15 1 2 1 8 0 1 0 26 2
通算 227 32 39 6 57 1 3 0 326 39
ゼニト 2007 29 4 5 5 8 1 - - 42 10
2008 27 6 0 0 16 0 1 0 44 6
2009 11 0 0 0 3 2 - - 14 2
通算 67 10 5 5 27 3 1 0 100 18
バイエルン・ミュンヘン 2009-10 21 0 4 0 7 1 - - 32 1
2010-11 26 3 4 0 6 1 1 0 37 4
2011-12 23 0 4 0 12 0 - - 39 0
2012-13 16 1 3 0 4 0 1 0 24 1
通算 86 4 15 0 29 2 2 0 132 6
ゼニト 2013-14 21 0 1 0 5 0 1 0 28 0
2014-15 11 0 1 0 9 0 - 20 0
通算 32 0 2 0 14 0 1 0 49 0
FCカイラト 2015 10 0 1 0 6 0 0 0 17 0
2016 24 1 4 0 4 0 1 0 33 1
通算 34 1 5 0 10 0 1 0 50 1
総通算 508 55 71 11 137 6 8 0 724 72

試合数

2016年6月21日現在


ウクライナ代表国際Aマッチ
出場得点
2000 4 0
2001 12 0
2002 8 1
2003 9 0
2004 9 0
2005 10 0
2006 12 0
2007 10 0
2008 7 0
2009 11 0
2010 9 1
2011 12 2
2012 11 0
2013 7 0
2014 5 0
2015 4 0
2016 3 0
通算 144 4

タイトル

クラブ
シャフタール
ゼニト
バイエルン・ミュンヘン
個人タイトル
  • ウクライナ最優秀選手賞:3回 (2002, 2006, 2008)

脚注

  1. ^ EURO2012注目選手(8):アナトリー・ティモシュク 2010年6月4日
  2. ^ バイエルン退団のティモシュク、ゼニトに復帰Goal.com、2013年6月3日
  3. ^ a b 「footballista」、ソルメディア、2009年1月28日号

外部リンク