オッタヴィオ・イェンマ
オッタヴィオ・イェンマ(Ottavio Jemma, 1925年1月1日 - 2015年12月25日)は、イタリアの脚本家である[1][2]。日本では英語読み的にオッタヴィオ・ジェンマ[3] とも表記される。 来歴・人物1925年(大正14年)1月1日に生まれる[1]。生地に関しては公式ウェブサイトにも記述がない[1][4]。 第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)から1951年(昭和26年)にかけて、プロ・デオ(現在のグイド・カルリ社会科学国際自由大学)で映画脚本を専攻し、ニーノ・ゲッリ(Nino Ghelli)に師事する[4]。同年、ルチアーノ・エンメルが監督した映画『スペイン広場の娘たち』で助監督を務め、同作は翌1952年(昭和27年)に公開された[4]。1959年(昭和34年)、ルチオ・フルチ監督の『盗賊たち』の脚本に参加、脚本家としてデビューする[1]。 満37歳を迎えた1962年(昭和37年)1月18日、エンツァ・サンポと結婚、のちに3児をもうける[1]。 1968年(昭和43年)、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレが監督した『女性上位時代』の脚本執筆に参加、以降14年間に、同監督による17作の脚本執筆に参加した[1]。1970年代には、カンパニーレのほか、サルヴァトーレ・サンペリ監督の『青い体験』(1973年)、『続・青い体験』(1974年)の脚本執筆に参加する[1]。 1982年(昭和57年)、カンパニーレが監督した『トリエステから来た女』『死ぬよりも美しいこと』『貧乏な金持ち』の脚本に参加して以降はカンパニーレ作品から離れ、1986年(昭和61年)にカンパニーレが亡くなる[5] のを挟んで、1988年(昭和63年)に公開されたマウリツィオ・ポンツィ監督の『大狐』で脚本執筆を再開するまで、6年間ブランクとなった[1]。 1991年(平成3年)には、サルヴァトーレ・サンペリによるヒット作の第3作『青い体験2000』の脚本に参加、満80歳を迎えた2005年(平成17年)には、ジョン・アーヴィン監督の『ミネハハ 秘密の森の少女たち』にオリジナル脚本を執筆、提供している[1]。2015年12月25日に亡くなるまで、執筆活動を継続していた。 フィルモグラフィ一部[4] を除きインターネット・ムービー・データベースに掲載された一覧である[1]。 1960年代
1970年代
1980年代
1990年代以降
参考文献
関連事項
註外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia