女性上位時代
『女性上位時代』(じょせいじょういじだい、イタリア語: La Matriarca, 「女性リーダー」の意)は、1967年(昭和42年)製作・公開、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ監督のイタリア映画である[1][2]。英語題名はThe Libertine, あるいは The Matriarchとしても知られるイタリア式コメディの1作である[1][2]。 略歴・概要本作は、1967年、イタリアの映画プロデューサーシルヴィオ・クレメンテッリが経営する製作会社クレシ・チネマトグラフィカが製作を開始、オッタヴィオ・イェンマが執筆した原案をもとに、イェンマとニコロ・フェッラーリの2名が脚本を執筆、これを撮影して完成した[1]。 撮影監督を務めたアルフィーオ・コンティーニは、ディーノ・リージが監督した『追い越し野郎』(1962年)や『怪物たち』(1963年)を撮った人物で、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレとは本作が初仕事であり、その後カンパニーレとは1981年(昭和56年)の『完璧な人などいない』で再会、『トリエステから来た女』(1982年)、『類猿人ビンゴ・ボンゴ』(同年)等を連作する[3]。美術デザイナーを務めたフラヴィオ・モゲリーニは、ロベルト・ロッセリーニ監督の『ローマで夜だった』(1960年)、ヴァレリオ・ズルリーニ監督の『鞄を持った女』(1961年)、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の『アッカトーネ』(同年)の美術を手がけており、カンパニーレとは、本作に先行する同監督のカトリーヌ・スパーク主演作『結婚戦争』(1966年)以来の2作目で、1970年代以降は映画監督になった人物である[4]。衣裳デザイナーを務めたガイア・ロマニーニ[5][6]は、ズルリーニ監督の『鞄を持った女』(1961年)、マルコ・ヴィカリオ監督の『黄金の七人』(1965年)を手がけた人物である[7]。劇伴音楽の作曲を行なったアルマンド・トロヴァヨーリは、カンパニーレとはカトリーヌ・スパーク主演作『結婚戦争』(1966年)、『イタリア式不倫』(同年)に次ぐ3作目で、のちに『裸でどこ行くの?』(1969年)、『私のためになんでもすると言って』(1976年)でも起用されている[8]。 イタリアでは、同年12月23日にEIAが配給して公開された[1]。 日本では、イタリア公開の約1か月後の翌1969年(昭和44年)2月1日、東和映画(現在の東宝東和)が配給して劇場公開された[9]。日本初映から31年後の2000年(平成12年)7月29日には、NSWが配給して再映され、翌2001年(平成13年)2月23日には、ブロードウェイが販売して「94分」ヴァージョンのDVDが発売された[10][5]。日本でその後発売されたピチカート・ファイヴのアルバム『女性上位時代』(2006年)のタイトルは、本作の引用である。 あらすじ20歳で夫フランコ(マリオ・エルピキーニ)が亡くなり、未亡人になったミミ(カトリーヌ・スパーク)は、夫が生前に、特異な欲望のために秘密の一室をもっていたことを知り、自分のためにその部屋を使うことを決意する。夫が密かにたのしんだサディズムとマゾヒズムの世界を経験すべく、分厚い専門書を買い込み、亡夫の親友で弁護士のサンドロ・マルディーニ(ジジ・プロイエッティ)や、親友クラウディア(ファビエンヌ・ダリ)の夫ファブリツィオ(レンツォ・モンタニャーニ)やテニス講師(フィリップ・ルロワ)、生真面目な歯科医(フランク・ヴォルフ)らを夫の隠し部屋につれこむ。ミミの母(ノラ・リッチ)は心配し、精神分析を受けることを勧める。大学病院に行ったミミは、そこで放射線科医カルロ・デ・マルキ(ジャン=ルイ・トランティニャン)に出逢う。学生と偽って講義にも出席、やがて例の部屋にも誘うことになる。最終的にはふたりは結婚し、ミミは念願であった「女性上位」を実現、馬になったカルロにまたがり、新居をたのしく歩き回るのであった。 キャスト※クレジット順・日本語吹替はテレビ版
スタッフ
註
参考文献
関連事項
外部リンク
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