エバーハルト・ウェーバー
エバーハルト・ウェーバー(ドイツ語: Eberhard Weber、1940年1月22日 - )は、ドイツ、シュトゥットガルト生まれのダブルベーシスト、作曲家。極めて個性的な音色とフレーズの作り方をするベーシストとして有名である[1]。ウェーバーの作る曲は、チェンバー・ジャズ、ヨーロッパのクラシック音楽、環境音楽などをミックスしたものであり、それは、典型的な「ECMレコードの音」の一つだと考えられている。 経歴エバーハルト・ウェーバーの活動は、1960年代初期から始まる。彼の最初のアルバムは『カラーズ・オブ・クレー』(ECM1042)で、彼自身がリーダーとなって録音したものが1973年に発表された。ミュージシャンとしてのキャリアに加えて、テレビや劇場のディレクターとしても業績を残してきた。また、彼は、最高弦をCにチューニングした5弦のエレクトリック・アコースティック・ベースをデザインしている。 彼の音楽は、陰鬱な音色で表現されることが多いのだが、その中でしばしば「オスティナート(固執反復)」が使用される。しかしそれでもなお、細部の色づけと印象的な表現は、非常に緻密に構成されている。 ウェーバーはソリッド・ボディのエレクトリック・ダブルベースの使用をずいぶん早くから提唱したことで知られている。彼自身はこのエレクトリック・ダブルベースを使った演奏を、1970年代の初頭から定期的に行っている。 1960年代初期から1970年代初期にかけての彼の最も親しい共演者は、ウォルフガング・ダウナーである。この2人の共同プロジェクトは、非常に多様なスタイルに渡るもので、オーソドックスなジャズからジャズ・ロック、フュージョン、さらにはアヴァンギャルドな実験音楽に至るものまで様々である。また、彼は同時期に、ピアニストのハンプトン・ホーズやマル・ウォルドロン、ギタリストのバーデン・パウエル・ヂ・アキーノやジョー・パス、マイク・ギブス・オーケストラ、ヴァイオリニストのステファン・グラッペリなどとも共演し、録音を残している。 『カラーズ・オブ・クレー』から始まって、彼は自分名義でさらに10枚のアルバムを発表している。これらはすべてECMレーベルから発表されているが、ECMとのつながりは、ECMで録音している他のアーティスト達との共同製作へと発展していく。ゲイリー・バートン(『リング』1974年、『パッセンジャーズ』1976年)、ラルフ・タウナー(『ソルスティス』1975年、『闇の音』1977年)、パット・メセニー (『ウォーターカラーズ』1977年)、そしてヤン・ガルバレクといったアーティストである。 1970年代中期、彼は自分のグループ「カラーズ (Colours)」を結成する。メンバーは、チャーリー・マリアーノ(ソプラノ・サックス、フルート)、ライナー・ブリューニングハウス(ピアノ、シンセサイザー)、ヨン・クリステンセン(ドラムズ)。このメンバーで録音したアルバム『イエロー・フィールズ』(1975年)を発表した後、クリステンセンが脱退し、ジョン・マーシャルに交替した。ドラマーが新しくなったこのグループは数多くのツアーをこなし、2枚のアルバム『サイレント・フィート』(1977年)と『リトル・ムーヴメンツ』(1980年)を録音した後、解散した。 1980年代初期以降、ウェーバーは定期的に、イギリス人シンガーソングライターのケイト・ブッシュと共同製作を行っており、彼女のアルバムのうち4枚に参加している(『ドリーミング』1982年、『愛のかたち』1985年、『センシュアル・ワールド』1989年、『エアリアル』2005年)。 1980年代、ウェーバーは、バーバラ・トンプソンのジャズ・アンサンブルであるパラフェルナリアとのツアーにも参加している。 1990年代初期以降、彼は演奏の機会と録音の量をかなり減らしている。1990年以降は、自分名義のアルバムはたった2枚しか製作していない。にもかかわらず、2001年には、自分名義のアルバム『エンドレス・デイズ』を発表し、おそらく現在考え得る限り、最も原始的なジャズとクラシックの融合を試みている。まさにアコースティック・ジャズの典型例である。この当時、彼はヤン・ガルバレク・グループでツアー活動に参加していた。 2007年6月、ウェーバーは卒中を患っており、演奏できない状態である[2]。 2008年、『ステージ・オヴ・ア・ロング・ジャーニー』を発表する。これは、2005年3月の彼の65歳の誕生日に、シュトゥットガルト・ラジオ・交響楽団と共演した際のライブ録音である。ゲイリー・バートン、ウォルフガング・ダウナー、ヤン・ガルバレクらとの共作曲が演奏されている。 2009年、ECMからカラーズ時代の3枚のアルバムが3枚組のCDとして再発されている。 2009年11月、ウェーバーは、名高いアルベルト・マンゲルスドルフ賞を受賞している。 同年同月、カラーズ時代の1970年代の作品がECMから発表されている。 2010年、ダイエ・ウェルトとのインタヴューで、彼が自分の健康状態と将来のプロジェクトについて語っている[3]。 文学との結びつきエバーハルト・ウェーバーが作曲した作品とアルバムが、リチャード・アダムスの児童文学『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』の文中に少なくとも5回、引用されている。例としては、アルバム『サイレント・フィート』から「サイレント・フィート」と「暗闇でも見える眼」が、また、アルバム『第三の扉』から「オーフン・イン・ジ・オープン」が、そして『ビジブル・ソウツ』から「クワイエット・ディパーチャーズ」と「フルイド・ラッスル」が取り上げられている。 ディスコグラフィリーダー・アルバム
コンピレーション・アルバム
参加アルバム
その他
脚注関連項目外部リンク |