エド・シグペン
エド・シグペン(Ed Thigpen、1930年12月28日[1] – 2010年1月13日[2])は、アメリカ合衆国のジャズ・ドラマー。1956年から1959年までビリー・テイラー・トリオと共演し、1959年から1965年までオスカー・ピーターソン・トリオに在籍した。 略歴イリノイ州シカゴに生まれ、カリフォルニア州ロサンジェルスに育つ。父ベン・シグペン(1908〜71)は、1930年代から1940年代にかけて16年間、アンディ・カークと活動を共にしたドラマーであった。アート・ファーマーやデクスター・ゴードン、チコ・ハミルトンに同じく、トマス・ジェファーソン・ハイスクールに学んだ。 ニューヨークで職業演奏家としての活動に入り、1951年から1952年までサヴォイ・ボールルームにおいて、クーティ・ウィリアムス楽団と共演した。ダイナ・ワシントンやギル・メレ、オスカー・ペティフォード、エディ・ヴィンソン、ポール・キニシェット、アーニー・ウィルキンス、チャーリー・ラウズ、レニー・トリスターノ、ユタ・ヒップ、ジョニー・ホッジス、ドロシー・アシュビー、バド・パウエル、ビリー・テイラーとの共演を経て、1959年にトロントでハーブ・エリスと入れ代わりにオスカー・ピーターソン・トリオに入団した。1961年にはテディ・エドワーズと録音を行なっている。 ピーターソン・トリオを退団後の1966年に、ヴァーヴ・レコードにリーダー・アルバム『アウト・オブ・ザ・ストーム』を録音する。その後、エラ・フィッツジェラルドと1967年から1972年まで演奏ツアーに出た後、デンマークの市民権を得てコペンハーゲンに永住し、同地でアリス・バブスやケニー・ドリュー、エディ・ロックジョー・デイヴィス、アーニー・ウィルキンス、スヴェント・アスムッセン、クラーク・テリー、ミルト・ジャクソン、モンティ・アレキサンダー、サド・ジョーンズらと共演を重ねた。パーカッシブ・アーツ・ソサエティの殿堂入りを果たしている。 コペンハーゲンで短期間入院した後、2010年1月に静かに息を引き取った[3]。デンマークで埋葬された。 ディスコグラフィリーダー・アルバム
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