ユタ・ヒップ
ユタ・ヒップ(Jutta Hipp、1925年2月4日 - 2003年4月6日)は、ドイツのジャズ・ピアニストである。 略歴1925年2月4日にドイツ国のライプツィヒで生まれる。10代の時にグラフィック・デザインを専攻。第二次世界大戦後の1946年、ソビエト軍の侵攻を避けるため家族と共にミュンヘンへ移住する。同都市でジャズ・ピアニストとしての活動を開始する。1950年代前半にハンス・コラーのクインテットのメンバーとして活動を行い、1954年から1955年の間、彼女自身のクインテットを率いて活動を行っている。ヒップはこの頃にいくつかの録音を行い、それらを収録したアルバムがザ・ユタ・ヒップ・クインテットとしてブルーノート・レコードから発売される。そして、そのアルバムの全曲に未発表音源を加えた編集盤『The Legendary Jutta Hipp Quintet: Frankfurt Special - 1954』が彼女の没後に発売されている。 1955年、ヒップはアメリカ合衆国に移住する。ドイツ時代から彼女を賞賛していた評論家レナード・フェザーの力添えで、彼女はブルーノート・レコードと契約する。彼女はヨーロッパ系の女性ジャズ・ピアニストとしてジャズ界で注目を浴びる。1956年4月5日にジャズ・クラブ「ヒッコリー・ハウス」で録音されたライブを収録した『ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ』(Vol.1とVol.2)は彼女の代表作として人気が高い。 ズート・シムズとの共作『ユタ・ヒップ・ウィズ・ズート・シムズ』の録音後、彼女は音楽業界から突如引退する。小規模のクラブでの演奏を好んでいたこと、極度のあがり症であったこと、音楽で生計を立てることにあまり関心がなく、自分が感銘を受けない音楽を演奏・録音することに気乗りがしなかったことなどが原因とされている。ヒップはレコーディングをやめた後も演奏活動を時折行っていたものの、1960年以降、彼女の関心は音楽から絵画へと移ってしまう。 2003年4月6日、ニューヨークのクイーンズ区にあるアパートの自室で死去。78歳。生涯独身であった。 影響彼女に影響を与えたアーティストはカウント・ベイシー、テディ・ウィルソン、ファッツ・ウォーラー、レニー・トリスターノ、バド・パウエル、ホレス・シルヴァーなど。アメリカに移住後の彼女の演奏スタイルは、シルヴァーのスタイルに強く影響を受けている。 ディスコグラフィリーダー・アルバム
脚注
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