ウイニングカラーズ
ウイニングカラーズ(Winning Colors) [2] とはアメリカ合衆国の競走馬、繁殖牝馬。主な勝ち鞍に1988年のケンタッキーダービー、サンタアニタダービー、サンタアニタオークス。1988年のエクリプス賞最優秀3歳牝馬に選出された。 競走馬時代
1歳時、キーンランドジュライセールにてウエイン・ルーカスに見出され、575,000ドルで落札された[3]。 1987年8月13日、サラトガ競馬場でのメイドン競走でデビューし、1着[4]。続くアローワンス競走も勝ち、3歳を迎えて初戦のラセンチネラステークスも勝って年をまたいで3連勝とする。ラスヴァージネスステークスでグッバイヘイローの2着[4] ののちサンタアニタオークスを制し、ここでのパフォーマンスが良かったと見なされたためサンタアニタダービーに駒を進め、牡馬を下して勝利した[4]。サンタアニタダービーでのパフォーマンスはルーカスが予期していたものよりはるかに良く[4]、ケンタッキーダービーへ向かうこととなる。ケンタッキーダービーではフォーティナイナー、ブライアンズタイム、シーキングザゴールド、リズンスターなどのメンバー相手に先手を取り、最後はフォーティナイナーにクビ差まで迫られたが凌いで、史上3番目の牝馬によるケンタッキーダービー優勝を果たした[4]。三冠2戦目のプリークネスステークスはリズンスター、ブライアンズタイムに続く3着、3戦目のベルモントステークスはリズンスターの6着に終わった[4]。秋はマスケットステークスでパーソナルエンスンの2着、スピンスターステークス4着を経てブリーダーズカップ・ディスタフで再びパーソナルエンスンに2着に屈したが、この競走はブリーダーズカップ史上に残る名勝負とも言われた[4]。1988年は10戦してケンタッキーダービーなどG1競走3勝を含む4勝を挙げ、エクリプス賞最優秀3歳牝馬に選ばれた[4]。 4歳となった1989年は7戦し、8月のアローワンス競走と9月のターフウェイバドワイザーブリーダーズカップハンデキャップに勝利したのみで、ブリーダーズカップ・ディスタフ9着が最後の競馬となった。 引退後引退直後、410万ドルでゲインズウェイファームが購入し、同牧場で繁殖牝馬として繋養された[3]。10頭の産駒のうち1993年生まれのゴールデンカラーズ、1994年生まれのダンジグカラーズは日本で競走生活を送り、繁殖牝馬となった。その他1992年生まれのミンデンローズ、1995年生まれのストーミンウイニーは繁殖牝馬として日本に輸入された。ゴールデンカラーズの仔にキーンランドカップを制したチアフルスマイル、ストーミンウイニーの孫に地方重賞4勝のセブンカラーズ、ミンデンローズの曾孫に地方重賞13勝のスーパーステションがいる。2000年にはアメリカ競馬殿堂入りを果たした[3]。 2008年2月17日の朝、疝痛による合併症の為安楽死処分がとられ、レキシントン近郊のグリーンツリーファームに埋葬された[3]。 産駒一覧
血統表
脚注
外部リンク
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