ウィルマー・フローレス
ウィルマー・アレハンドロ・フローレス・ガルシア(Wilmer Alejandro Flores Garcia, 1991年8月6日 - )は、ベネズエラのカラボボ州バレンシア出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。MLBのサンフランシスコ・ジャイアンツ所属。愛称はカティーレ(Catire)[1]。同名の弟もプロ野球選手である[2]。 経歴プロ入りとメッツ時代2007年8月6日、16歳の誕生日にニューヨーク・メッツと契約してプロ入り。 2008年、傘下のアパラチアンリーグのルーキー級キングスポート・メッツでプロデビュー。59試合に出場して打率.310、8本塁打、41打点、2盗塁を記録した。8月からA-級ブルックリン・サイクロンズ、A級サバンナ・サンドナッツに所属。同年の「Baseball America Rookie All-Star Team」、「APP Post-Season All-Star Team」に選ばれた[3]。 2009年はA級サバンナに所属し、125試合に出場して打率.264、3本塁打、36打点、3盗塁を記録した。7月にはオールスター・フューチャーズゲームに選出された。 2010年はA級サバンナで開幕を迎え、66試合に出場。打率.278、7本塁打、44打点、2盗塁の成績で、6月にA+級セントルーシー・メッツへ昇格。67試合に出場した。 2011年はA+級セントルーシーに所属し、133試合に出場して打率.269、9本塁打、81打点、2盗塁を記録した。 2012年もA+級セントルーシーに所属。遊撃手から三塁手に転向した。シーズン中に開催されたフロリダ・ステートリーグのオールスター戦で3打点を挙げMVPに選出された[4]。その後2度目となるオールスター・フューチャーズゲームに出場した。6月下旬にAA級ビンガムトン・メッツに昇格し、66試合に出場した。 2013年は開幕をAAA級ラスベガス・フィフティワンズで迎え、107試合に出場した。打率.321、15本塁打、86打点、1盗塁と結果を残し、22歳の誕生日である8月6日にメジャー初昇格を果たした[5][6]。同日のコロラド・ロッキーズ戦でメジャーデビュー。「6番・三塁手」でスタメン起用され、4打数無安打だった。最終的に27試合に出場して打率.211、1本塁打、13打点を記録した。 2014年は開幕直後の4月2日にメジャーに昇格。この年はメジャーとAAA級ラスベガスを往復しながら経験を積み、78試合に出場して打率.251、6本塁打、29打点、1盗塁を記録した。 2015年は初めて開幕25人枠入りし、遊撃手または二塁手として先発出場する機会が増えた。7月29日にはミルウォーキー・ブルワーズのカルロス・ゴメスとのトレードが成立と複数のメディアで報道され、それを知ったフローレスは当日の試合中、守備に就きながら涙を流していた。しかし試合後、このトレードは破談となったと発表され、フローレスはメッツに残留となった[7][8]。そして2日後の31日のワシントン・ナショナルズとの首位攻防戦、「6番・二塁手」として先発出場したフローレスは1-1で迎えた12回裏にサヨナラ本塁打を放ち、勝利をもたらした[9]。フローレス本人も「トレード報道は少し堪えた。自分はニューヨークが好きだし、ファンも素晴らしいからね」「試合中にファンの声援がよく聞こえた。その声援に本当に感謝したい。このホームランは自分にとって大きな意味を持つよ」と興奮気味に声を震わせた[10]。レギュラーシーズンでは137試合に出場し、自身初の規定打席に到達した。打率.263、16本塁打、59打点という成績を記録した。2015年のワールドシリーズに出場したが、カンザスシティ・ロイヤルズに1勝4敗で敗退した。 2016年は控え内野手に降格となった。7月3日のシカゴ・カブス戦でメッツの選手としてエドガルド・アルフォンゾ以来2人目となる1試合6安打の大活躍だった[11]。9月10日のアトランタ・ブレーブスでは走者としてホームプレート上でA.J.ピアジンスキーと衝突し、右手首を負傷してシーズンを終え、10月8日に手術を受けた[12]。この年は103試合に出場。打率.267、16本塁打、49打点、1盗塁、OPS.788という成績を記録した。 2017年9月2日のヒューストン・アストロズ戦でファウルチップが自身の顔面に直撃する事故で鼻を骨折し、シーズンを終えた[13] 2018年6月26日のピッツバーグ・パイレーツ戦で自身10回目のサヨナラ打(犠飛を含む)でデビッド・ライトの持っていた球団最多記録を更新した[14]。11月30日にノンテンダーFAとなった[15]。 ダイヤモンドバックス時代2019年1月16日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと1年425万ドルの契約を結んだ。9月9日のシティ・フィールドでのメッツ戦は、試合前に古巣での活躍した映像が流されて温かく迎えられた。メッツではダニエル・マーフィー以来3年ぶりのできごとだった[16]。オフの10月31日にFAとなった[17]。 ジャイアンツ時代2020年2月12日にサンフランシスコ・ジャイアンツと2年625万ドルの契約を結んだ[18]。この年は新型コロナウイルスの影響で60試合制の短縮シーズンながら、12本塁打、32打点などの好成績だった。 2021年は139試合の出場で球団として9年ぶりの地区優勝に貢献した。自身6年ぶりのポストシーズンに出場したが、ロサンゼルス・ドジャースとのディビジョンシリーズで12打数1安打の不振で、チームも敗退した。 2022年シーズン終盤の9月13日にジャイアンツと2024年までの2年1650万ドルで契約延長に合意した(2025年は850万ドルの球団オプションまたは350万ドルの選手オプション)[19]。リーダーシップやスペイン語の通訳としても高く評価された[20]。 選手としての特徴
詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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