イオン一関店
イオン一関店(イオンいちのせきてん)は、岩手県一関市山目にあるイオン東北株式会社が運営管理する総合スーパー(GMS)。 歴史・概要一関ショッピングデパート千葉久→詳細は「千葉久」を参照
1975年(昭和50年)に地場資本の老舗百貨店であった「千葉久」[2]と提携して[6]、一ノ関駅前の大町商店街と駅前通りの交差点角に店舗を移転し[2]、「一関ショッピングデパート千葉久」を開業したのが始まりである[2]。 この店舗は[2]地下1階・地上5階建てで[7]、都会的な感覚を持ち込んだ売り場構成を行って地元の小売業者に大きな影響を与えるとされていた[6]。 当店と共に一関では三大百貨店として並び称された「東光デパート」は[8]、当店から大町商店街を通って約300 mの場所に位置していたが[2]、1978年(昭和53年)11月に倒産した[9]。 この「東光デパート」の跡地には、八戸市の老舗百貨店の三春屋が進出したが、1981年(昭和56年)4月に同社が一関店を含む4店舗を「ダイエー」に譲渡して撤退し[10]、1985年(昭和60年)には「ダイエー一関店」が開業した[11]。このダイエーの開業により、同店との間にある約300 mの大町商店街を買い物客が流れるルートが出来上がっていった[2]。 「一関ショッピングデパート千葉久」は[2]、1997年(平成9年)9月に一関ICに近い郊外の国道沿いに[4]「一関サティ」が開業するのに伴い[12]、1997年(平成9年)8月に閉店してその歴史に終止符を打った[2][12]。 なお、「株式会社千葉久友の会」は1978年(昭和53年)2月に「株式会社ピープル」へ社名を変更して同年4月に「ニチイグループ」のスポーツクラブ事業を讓受して事業転換し[13]、「マイカル」の子会社として東京証券取引所第1部へ上場した[14]。その後、2001年(平成13年)6月に「コナミスポーツ株式会社」となり[13]2006年(平成18年)3月にコナミスポーツ&ライフとなっている[15]。 一関サティ「一関サティ」は1997年(平成9年)9月に一関ICに近い郊外の国道沿いに開業した[4]。 当地は、「ジャスコ(現・イオン)」が1981年(昭和56年)に店舗面積17,300 ㎡で出店を表明していたが、申請から商業活動調整協議会審議で約2年半後に店舗面積が約5分の1の3,500 ㎡で結審したため、出店を断念した場所であった[4]。 当店の開業をきっかけに郊外に駐車場を備えた専門店などが相次いで出店しており、一関市の買い物客が中心市街地から郊外へ流出する先駆けとなった[4]。 その結果、「ダイエー一関店」も売り上げ減少を理由に2002年(平成14年)5月に閉店し、一関市の中心商店街では空き店舗が急増することになった[12]。 イオングループへ当店は2001年(平成13年)9月に秋田サティ、旧・盛岡南サティ、一関サティ、米沢サティ、福島サティ、会津サティ、いわきサティなどと共にマイカル東北からマイカル本社に譲渡されてマイカル直営店舗になった[3]。 しかし、同月14日に「マイカル」は東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請して事実上破綻した[16]。 その後、イオンが再建の支援を行う上で求めていたため、同年11月22日に東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請して、破綻処理の手法を民事再生法から切り替えることになった[17]。 「マイカル」は「イオン」の支援を受けて経営再建を行うことになったことに伴い、同社のプライベートブランド「トップバリュ」を取り扱うことになった[18]。 2011年(平成23年)3月1日に営業していたサティは全てイオンへ転換したため[19]、当店も店名を変更している。 また、当店が店名を「イオン」へ変更した10日後の同年3月11日に発生した東日本大震災を受けて、同年11月3日から陸前高田市小友町に「イオン一関店陸前高田分店」を開設し、同地の住民の買い物への対応を行っている[20]。 沿革
フロアとテナントフロア概要核店舗のイオン一関店と37の専門店で構成される。
主なテナント1階 2階
※テナント情報は2022年5月時点 出店テナント全店の一覧詳細情報は公式サイト「専門店」「フロアガイド」を、営業時間およびATMを設置している金融機関の詳細は公式サイト「営業時間」を参照。 その他
アクセス鉄道路線バス
自動車駐車場当施設の駐車場は、700台利用可能である。
周辺
脚注出典
関連項目外部リンク公式サイト |
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