アージェント (バンド)
アージェント (Argent) は、イギリスのロックバンドで、1969年に、キーボーディストで元ゾンビーズのロッド・アージェントによって結成された。 経歴アージェントの最初の3つのデモは、1968年秋に、ベースのマック・マクロードによってレコーディングされた。しかし、彼はグループのメンバーになるつもりはなかった[1]。 バンドのオリジナルメンバーは、ロッド・アージェントと、ベーシストのジム・ロッドフォード(ロッド・アージェントの従兄弟で元マイク・コットン・サウンド)、ドラマーのボブ・ヘンリット、ギタリスト・キーボーディストのラス・バラード(元ザ・ルーレッツ、ユニット4+2)で、リード・ボーカルはバラード、ロッドフォード、アージェントがそれぞれ務めている。 ロッド・アージェント、クリス・ホワイト(元ゾンビーズのベーシスト、プロデューサー、作曲)及びラス・バラードがバンドの作曲を行った。 1974年にバラードが脱退し、ギタリスト/ボーカリストのジョン・ヴァリティとギタリストのジョン・グリマルディが彼の後任となった。また、彼は2枚のアルバムのプロデュースし、集中してレコーディング活動を続け、映像をリリースすることはなかった(クリップはジョン・ヴァリティのウェブサイトで観覧可能である)。1976年後半の活動休止は、完全に説明されることはなかったが、バンド・メンバーの1人の健康が損なわれたことに影響している可能性がある。ロッドフォード、ヘンリット及びヴァリティは「フェニックス」の名のもとで少しの間活動した後、分かれた道を進むことになり、ロッドフォードとヘンリットはキンクスのメンバーとなった。この間、ロッド・アージェントはアンドルー・ロイド・ウェバーと仕事を行い、2枚のソロ・アルバムをプロデュースした。また、彼はロンドンのウェストエンドに、キーボード・ショップをオープンさせた。 2010年7月25日、ロンドンのビクトリア・パークで行われたハイ・ヴォルテージ・フェスティバルにて、オリジナルのアージェントの顔ぶれが集い、再結成した。また、2010年12月に、フローム、サウサンプトン、ウルヴァーハンプトン、ロンドンのレミントン・スパで演奏する5日間のコンサートツアーを行った。 楽曲アージェント最大のヒットは、アルバム『オール・トゥゲザー・ナウ』に収録された、ロッド・アージェントとクリス・ホワイトの「ホールド・ユア・ヘッド・アップ」であり、大きく編集が加えられたシングル・バージョンは、アメリカで5位に達した。これはミリオンセラーとなり、ゴールドディスクを獲得した[2]。 アージェントのサウンドは、ロックとポップのミックスであったが、アルバム『連鎖』に収録されているインストゥルメンタル、「コホーテク彗星の到来」のようなプログレッシブ・ロックの領域にも入った曲が多数ある。『ライブ』発表後、バラードがバンドを離脱した際、彼らはエピック最後のアルバム『サーカス幻想』を発表してこれまで以上のプログレッシブ/フュージョンを見せ、1975年末のアルバム『カウンターポインツ』で新しいレコードレーベル(ユナイテッド・アーティスツ)に契約した。2005年までに、コンピレーションを含む全てのアルバム(『カウンターポインツ』を除く)は、CDとして再リリースされた。 影響「ホールド・ユア・ヘッド・アップ」は、1987年にバンド、20/Twentyによってカバーされ、ルフージュ・レコードのクリスチャン・レーベルでレコーディングされた。また、アージェントは、ラス・バラード作曲の「ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユー」のオリジナル・バージョンをレコーディングしているが、これは1991年にキッスによって、「ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユーII」という名でカバーされ、映画『ビルとテッドの地獄旅行』のエンディングで使用された。さらに、この曲は、当時のクリスチャン・ロックの賛歌となり、クリスチャン・ロック・バンドのペトラによって1977年(アルバム『Come and Join Us』収録)と1984年(アルバム『Beat the System』収録)に2回カバーされた。 バラードの作品のいくつかは、レインボー、キッス、ペトラ、ハロー、カルロス・サンタナ及びブラジルのメタルバンドOficina G3を含む他のアーティストによってカバーされた際に、ヒットしている。 アージェントのファースト・アルバムに収録されているラス・バラードの曲「ライアー」は、スリー・ドッグ・ナイトがヒットさせた。 ディスコグラフィスタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
コンピレーション・アルバム
シングル
出典
|
Portal di Ensiklopedia Dunia