アンドレア・ジャーニ
アンドレア・ジャーニ(Andrea Giani、1970年4月22日 - )は、イタリアの男子バレーボール選手、指導者。元イタリア代表。 来歴ナポリ出身。父のダリオ・ジャーニは1964年東京オリンピックに出場した元ボート競技選手[1]。中学校在学時に見出されてサバウディアのジュニアチームからバレーボールを始め[1]、14歳でセリエA2・サバウディアへ入団。1985年、15歳でセリエA1・パルマへ入団した。在籍した10年間にリーグ優勝を3度飾り、当時イタリア代表でチームメイトだったアンドレア・ゾルジと共にパルマの中心選手として活躍した。1996年に移籍したモデナでも2度のリーグ優勝を飾った。 1988年5月6日、ルッカで行われたイタリア-フィンランド戦(3-0)で代表デビューを飾り[2]、2005年に代表を退くまでイタリア代表の歴代1位となる通算474試合に出場[1][2]。1988年ソウルオリンピック(9位)、1992年バルセロナオリンピック(5位)、1996年アトランタオリンピック(銀メダル)、2000年シドニーオリンピック(銅メダル)、2004年アテネオリンピック(銀メダル)のイタリア男子史上最高の5大会連続オリンピック出場を果たしたほか[2]、世界選手権3連覇、ワールドリーグ7度優勝、欧州選手権4度優勝に貢献した。1995年ワールドカップと1994年ワールドリーグで最優秀選手賞、1998年ワールドリーグでベストブロッカー賞を受賞した。 2008年10月23日、フリオ・ベラスコ、アンドレア・ガルディーニに続き、イタリアで3人目となるバレーボール殿堂入りを果たす[1][3]。オポジット、レフト、ミドルブロッカーと幅広いポジションをこなし[1]、1990年代に最も活躍したバレーボール選手の一人であり、「イタリアバレーボール界の英雄」と呼ばれた。 なお、イタリア政府からは2000年7月にイタリア共和国功労勲章カヴァリエーレ[4]、2004年9月に同功労勲章ウッフィチャーレを受章している[5]。 現役引退後は指導者の道を歩み、2007年にモデナの監督に就任。2008-09年のシーズン途中で監督を降板した。2009年にセリエA2・Mローマの監督に就任し、2010年コッパ・イタリアA2で優勝、A2プレーオフ・ファイナルで優勝し、Mローマを2年ぶりのA1復帰へと導いた[6]。 球歴
所属クラブ
指導歴
脚注
外部リンク |
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