アンディ・ウォード
アンディ・ウォード[1](Andy Ward、1952年9月28日 - 、イングランド・エプソム出身)は、イングランドのプログレッシブ・ロック・ドラマーである。 生い立ちウォードは、ロンドン市のフリーメンズ・スクールに通った[2]。13歳の時、Jim Butt(ギター)、Doug Houston(ボーカル)、Colin Burgess(ベース)、Jan(Murray)Obodynski(キーボード)による地元のロック・バンドでドラムを叩き始めた。 略歴キャメル(1971年-1981年)ウォードは、1971年に結成されたプログレッシブ・ロック・バンド、キャメルの結成メンバーとなった。これはウォードが最初に参加したバンド、ザ・ブリュー (The Brew)から発展したものだった。イギリスのプログレッシブ・ロック・ムーブメントを代表し輝いていたバンドの1つであるキャメルは、1975年にロイヤル・アルバート・ホールでアルバム『スノー・グース』をロンドン交響楽団の伴奏と共に演奏して、世界中でかなりの成功を収めた。1981年、アルコールや薬物による問題を含む健康状態が悪化したため、バンドからの脱退を余儀なくされた[3]。 マリリオン(1983年)2年後、ネオ・プログレッシブ・ロック・バンドのマリリオンで一時的に復活し[4]、デビュー・アルバム『独り芝居の道化師』のヒットシングル「ガーデン・パーティ」のミュージック・ビデオに登場、当時解任されたオリジナル・ドラマーだったミック・ポインターの代わりに3ヶ月にわたって演奏を行った。ウォードとバンドのパフォーマンスは、BBCの音楽番組『The Old Grey Whistle Test』に出演したときの「Forgotten Sons」の演奏が残されている。マーク・ケリーによると、ウォードは業界で有名だったため、特にオーディションなしでバンドに採用されたという。しかし、彼の個人的な問題が再浮上し、バンドの最初のアメリカ・ツアーの途中で神経衰弱となって、ケリーとフィッシュの両方からリコールされた[5]。 カンタベリー(1987年-2002年)1990年代を通して、ウォードはリチャード・シンクレアのバンド、キャラヴァン・オブ・ドリームス[6]や、ゴーイング・ゴーイングで、シンクレア、ヒュー・ホッパー、ヴィンス・クラーク、マーク・ヒウィンズと一緒に仕事した。1994年にはキャメルとキャラヴァンの双方からのメンバーを結びつけた進歩的なスーパーグループ、ミラージュ (Mirage)に加わった[7]。他のプロジェクトでは、スタジオのみのグループであるChrys&Themumsへの参加や、曲を組み立てる前にウォードからのドラム・トラックを受け取って音楽制作を行ったたエキセントリックなシンガーソングライターのYukio Yung(別名Terry Burrows)によるものがあった。この頃、ウォードはカルトなイングランドのロック・バンド、ベヴィス・フロンド (Bevis Frond)でフルタイムのドラマーとなり、一緒にレコーディングやツアーを行った。 現在2002年、キャメルや他のプロジェクトでの彼の仕事がフィーチャーされているコンピレーションCD『Sticking Around』がリリースされた。 2003年に、ウォードはザ・ブリューの元メンバー(アンドリュー・ラティマー、ダグ・ファーガソン)との短期間の再結成に参加し、アルバムのためのマテリアルをレコーディングしたが、ラティマーの進行中の健康問題のためにその発表は実現しなかった[8]。 ディスコグラフィソロ・アルバム
キャメル
ベヴィス・フロンド
キャラヴァン・オブ・ドリームス
その他の参加アルバム
脚注
外部リンク |
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