アレックス・ディカーソン
アレキサンダー・ロス・ディカーソン(Alexander Ross Dickerson, 1990年5月26日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州モントレー郡モントレー出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。左投左打。 経歴プロ入り前2008年のMLBドラフト48巡目(全体1432位)でワシントン・ナショナルズから指名されるも、契約せずインディアナ大学ブルーミントン校に進学した。ここでは、外野手と指名打者として活躍した。 2010年には日本で開催された第5回世界大学野球選手権大会にアメリカ合衆国代表として参加した[2]。 プロ入りとパイレーツ傘下時代2011年のMLBドラフト3巡目(全体91位)でピッツバーグ・パイレーツから指名され、プロ入り。この年は傘下のA-級ステート・カレッジ・スパイクスでプロデビューした。 2012年はA+級ブレイデントン・マローダーズでプレーし、フロリダ・ステートリーグの年間MVPとなった[3]。 パドレス時代![]() 2013年4月24日 ザ・ダイアモンド 2013年11月25日にジャフ・デッカー、マイルズ・マイコラスとのトレードで、サンディエゴ・パドレスへ移籍した。 2014年11月20日にルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした[4]。 2015年8月6日にウィル・ベナブルが育休リストに入ったためにメジャー初昇格を果たし、同日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。8月7日にメジャー初安打を記録するも、翌8日にマイナー降格。9月にはセプテンバー・コールアップにより、再び昇格[5]。腰の張りもあったためにチャンスは限られたが[6]、左翼手の守備固めや代打としてシーズンで8試合に出場することができた。 2016年は5月2日にメジャー昇格を果たす[7]。5月10日のリグレー・フィールドで行われたシカゴ・カブス戦で、ジャスティン・グリムからキャリア初となる満塁本塁打を打ち、同時にメジャー初本塁打と打点も記録することになった[8]。 2017年は怪我の影響で全休となった。 2018年は前年の怪我からメジャー昇格に戻ろうとしたが尺骨副靭帯を断裂し、トミー・ジョン手術を受けたため2年連続でメジャー昇格が無かった。オフの11月3日にFAとなったが、12月13日にマイナー契約で再契約を結び、2019年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。 2019年の開幕は傘下のAAA級エル・パソ・チワワズで迎え、5月3日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[9]。6月5日にDFAとなった[10]。 ジャイアンツ時代2019年6月10日にフランクリン・バンガープとのトレードで、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した[11]。移籍後は56試合に出場し、6本塁打を放った。 2020年は新型コロナウイルスの影響で60試合の短縮シーズンとなる中、52試合に出場した。また9月1日のコロラド・ロッキーズ戦では、6打数5安打、2二塁打、3本塁打、6打点と大当たりして1試合16塁打とし、ウィリー・メイズが持つジャイアンツの1試合最多塁打記録に並んだ[12]。 2021年はキャリアハイとなる111試合に出場し、打率.233、13本塁打、38打点を記録した。11月22日にアンソニー・デスクラファニーの加入に伴ってDFAとなり、26日に自由契約となった。 ブレーブス時代2022年3月16日にアトランタ・ブレーブスと契約を結び、この年の開幕ロースターに名を連ねた。しかし、13試合に出場して打率.121に終わり、4月28日にDFAとなり[9]、30日に傘下AAA級グウィネット・ストライパーズに配属された。オフの10月17日にFAとなった[9]。 2023年3月に開催された第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にイスラエル代表として出場した[13]。 メキシカンリーグ時代2023年4月20日にメキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズと契約したが、12試合に出場して打率.265、本塁打は0に終わり、5月5日に自由契約となった[9]。 米独立リーグ時代2023年5月12日にアトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約した[9][14]。115試合に出場し、打率.314、26本塁打、91打点の成績を残した[15]。 中日時代2023年12月22日、中日ドラゴンズと契約したことが発表された。背番号は94[16]。推定年俸は7000万円[1]。 2024年3月29日の開幕戦には出場したものの、30日の試合前の全体練習中に腰痛を訴えて当日の試合を欠場した[17]。31日に登録抹消となった[18]。5月24日に一軍再登録されると、翌5月25日のヤクルト戦でNPB初本塁打を記録した[19]。シーズン通算で32試合に出場し、打率.205、3本塁打、5打点にとどまり、10月19日に同年限りで退団となることが報道された[20]。同29日、戦力外通告を受けた[21]。 選手としての特徴・人物三振の少なさとパンチ力が持ち味[16]。 幼少期より鳥山明原作のアニメ『ドラゴンボール』のファンであり、好きなキャラクターにベジータを挙げている[22]。 米球界時代の愛称は「おじいちゃん(Grandpa)」[23]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
NPB記録
表彰
背番号
代表歴
脚注
関連項目外部リンク
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