アルヘア・オリンビア
アルヘア・オリビア(Αρχαία Ολυμπία / Archaia Olympia)は、ギリシャ共和国西ギリシャ地方イリア県にある町であり、その周辺地域を含む基礎自治体(ディモス)。その名は「古代オリュンピア」(英: Ancient Olympia)を意味し、古代オリンピックが開催されたオリュンピア(オリンピア)の遺跡はこの町にある。「オリンピア市」とも表記される。 地理位置・広がりアルヘア・オリビアの街(Αρχαία Ολυμπία)はペロポニソス半島の西部に位置し、トリポリからは東に約70km、パトラからは南へ約70kmの距離にある。県都ピルゴスからは東へ約15kmで、アルフィオス川の上流方向にある。 オリビアの街はアルフィオス川北岸の谷間に位置し、オリビアの集落の東の丘の上に古代オリンピアの遺跡が広がっている。町の2km南西にはアルフィオス川を堰き止めた貯水池がある。 自治体としてのアルヘア・オリビア市(Δήμος Αρχαίας Ολυμπίας)は平野部から山岳部までの広大な市域を持ち、オリビアの街はその最南部に位置する。市域東北端、エリマントス山地 (Mount Erymanthos) の山中にある村・ランビアからオリビアの街までは、直線距離にして約30km離れている。市域の多くは丘陵・山地で、大部分は森におおわれている。 主要な集落
アルフィオス川の北岸の平地にあたるアルヘア・オリビア地区に人口が集中しており、オリビアから北西方向にプラタノスやペロピオの集落が点在する。フォロイ地区はオリビアから東北へ約15kmほどに開けた内陸の盆地を中心とする地区である。ラビアは標高1000mの山間の集落である。 歴史→「オリンピア (ギリシャ)」も参照
393年、テオドシウス1世はオリンピアの祭典の中止を命じ、千年に及ぶ古代オリンピックの歴史は幕を下ろした。神殿は破壊され、「ペイディアスの仕事場」と呼ばれる建物は教会に転用された。6世紀頃まで、オリンピアの遺跡にはキリスト教徒たちが暮らしていた。その後の時間とともに、古代オリンピアの遺跡は土に埋もれ、最大8mの地中に眠ることとなった。 現在の遺跡が再発見されたのは1766年、イギリスの考古学者リチャード・チャンドラー (Richard Chandler) によってであった。しかし、遺跡の発掘は1829年、フランスによる「モレア探検」 (Morea expedition) まで行われなかった。1870年代以降、遺跡の保存・発掘はアテネのドイツ考古学研究所によって行われることになった。最初の本格的な発掘は1875年、エルンスト・クルティウス (Ernst Curtius) によって行われた。 1936年、ベルリンオリンピック開催に合わせてオリンピアの遺跡も大規模な発掘調査が行われた。 社会産業・経済オリンピア遺跡への観光拠点である。 オリーブ、イチジク、ブドウなどが栽培されている[1]。 行政区画自治体(ディモス)アルヘア・オリビア市(Δήμος Αρχαίας Ολυμπίας)は、西ギリシャ地方イリア県に属する基礎自治体(ディモス)である。 2010年に行われた地方制度改革(カリクラティス改革)にともない、2011年1月1日付で旧アルヘア・オリビア市を含め4自治体が合併し、新たな自治体(ディモス)としてアルヘア・オリビア市が発足した。旧自治体は新自治体を構成する行政区(ディモティキ・エノティタ)として位置づけられた。 下表の番号は、右に掲げた「旧自治体」地図の番号に相当する。下表の「旧自治体名」欄は、無印がディモス(市)、※印がキノティタ(村)の名を示す。
旧自治体(ディモティキ・エノティタ)カリクラティス改革以前の旧アルヘア・オリビア市にあたるアルヘア・オリビア地区(Δημοτική Ενότητα Αρχαίας Ολυμπίας)は、以下のキノティタ(都市域・村落)および都市・集落から構成される。 表中の Δ.δ. は Δημοτικό διαμέρισμα の略であり、カポディストリアス改革による統廃合(1999年1月施行)以前の旧自治体に由来する区画である。[ ] 内は人口(2001年国勢調査)を示す。
交通鉄道
街の中心部から東へ約300mほどのところに、オリビア=ピルゴス線の終着駅・オリンビア駅がある。ピルゴスとオリビアの間には1日5本の列車があり、約40分で結んでいる[2]。 道路
オリンビア遺跡と市街の北を東西に走るGR-74号線は、1980年に新たに開かれた自動車道路で、ピルゴスとトリポリとを東西に結んでいる。ピルゴスとの間の所要時間はバスで約30分[2]。 姉妹都市
文化・観光・施設オリンピア→詳細は「オリンピア (ギリシャ)」を参照
オリンピア遺跡は、1989年にユネスコの世界遺産に登録された。
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia