アルバート・ウォール
アルバート・ウォール(Albert "Rocky" Wall、1935年 - 2017年12月31日[3])は、イギリスのプロレスラー。サウス・ヨークシャー州ドンカスター出身。 ランカシャー・レスリングの継承者として[1]、イギリスや西ドイツのマット界で活躍した[3]。 来歴1957年にデビューし、英国マット界の統括組織ジョイント・プロモーションズで活動。1966年2月20日にはノッティンガムにて、ビリー・ライレー・ジムの師範代でもあったビリー・ジョイスからブリティッシュ・ヘビー級王座を奪取した[4]。 1968年5月、当時ヨーロッパを外国人招聘ルートとしていた国際プロレスに初来日[5]。得意技の「人間ミサイル」ことフライング・ヘッドバットで若手時代のラッシャー木村を吹っ飛ばしたシーンは語り草となった[1][6]。1969年春の再来日では、4月23日に板橋にてビル・ロビンソンが保持していたヨーロピアン・ヘビー級王座に挑戦したが[7]、この試合で肩を負傷し途中帰国を余儀なくされている[1]。 英国ではケンドー・ナガサキ、アル・ヘイズ、ハロルド坂田、シーン・リーガン、そして当時ジャン・フェレと名乗っていた駆け出し時代のアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦[2]。1970年4月13日には王座決定戦でスティーブ・ベイダーを下し、ビル・ロビンソンのアメリカ進出で空位となっていたブリティッシュ・ヘビー級王座を再び獲得した[4]。以降、ロビンソン渡米後の英国マット界をヘビー級のトップとして支え、1972年1月8日にはジョージ・ゴーディエンコから英連邦ヘビー級王座を奪取[8]。1974年2月4日にはホースト・ホフマンを破ってヨーロピアン・ヘビー級王座も獲得している[9]。 1975年からは独立団体のリングに単発的に出場し[2]、1978年に引退したとされる[1]。国際プロレスへの来日時はスタン・スタージャックやドリー・ディクソンなど北米の選手ともタッグを組んだが、ロビンソンらのようにアメリカ本土に遠征することはなかった[6]。 得意技
獲得タイトル脚注
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