アルデシュ県 (アルデシュけん、Ardèche 、オック語 :ArdechaまたはArdecho)は、フランス のオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏 の県である。
地理
県はかつてのヴィヴァレ州とおおよそ一致する。ドローム県 、ヴォクリューズ県 、ガール県 、ロゼール県 、オート=ロワール県 、ロワール県 、イゼール県 と接する。
中央高地 の南東部で、セヴェンヌ山脈 中に位置し、東の境界にはローヌ川 が流れる[ 1] 。
アルデシュの土壌、気候、植生は県の北と南で非常に異なる。自然環境や景観が幅広く多様であることが理由である。一方で県は、ローヌ川右岸のヴァランス から中央高地の高原まで、数千メートルの急斜面をカバーしている[ 2] 。
北西部はオート・ヴィヴァレと呼ばれ、湿度が高く緑が多い。この地方の標高の高い丘陵と低い山々は中央高地に属している。
南はバ・ヴィヴァレといい、石灰岩質で乾燥している。植生は地中海性である。アルデシュ川流域は壮大な渓谷を彫り上げている。地下水が非常に多く、これはカルスト 地形の特徴である。
中央部はコワロン高原の玄武岩や石灰岩、マールが含まれた、地形学上非常に複雑な過渡期の土地である。
ローヌ川谷はむしろ狭い。地方中央の農業に適した肥沃な土壌に村や町が点在している。これは異なる年代の沖積平野である。
県の中部から南部にかける山岳地帯は「モン・ダルデシュユネスコ世界ジオパーク 」に指定される[ 3] 。
気候
20世紀初頭に撮影されたセヴェンヌ・アルデショワーズの男女
アルデシュの気候は多様である。北部が温暖な気候である一方、南部はより地中海性気候 である。
アルデシュ・ヴェールまたはオート・アルデシュ - 県北部で標高は350mから850m。ローヌ川谷とは異なり降雪が珍しく、激しい嵐もまれ。
アルデショワ高原 - 西部で標高は約1000m。冬は厳しく最低気温が-20℃にもなる。11月下旬から3月まで非常に多く降雪があるのが特徴。ビュルル風と呼ばれる冷たい北風は、冬の間定期的に吹く。この風で数メートルの高さの雪だまりができることもある。
アルデシュ・メリディオナル - 地中海性の特徴である暑く乾燥した夏(オリーブの栽培地域がオーブナまで伸びている)は、セヴェンヌ山脈の標高のために極端になる。
歴史
1790年 3月4日、スルス・ド・ラ・ロワール県(Sources de la Loire)として新設。フランス革命 はヴィヴァレ全土で受け入れられたわけではなかった。貴族たちは亡命した。王党派のシュアンたちは山岳地帯に逃げ込んだ。1790年から1792年にかけ、県南部、ジャレス平野において数度の集会が開かれている。
1815年 のワーテルローの戦い で第七次対仏大同盟 が勝利すると、1818年11月までオーストリア軍が県を占領していた。
19世紀に県経済は発展を遂げた。製絹業、製紙業、鉱業、そして鉄道の到来の恩恵である。多くの傾斜地での農業が県内で見られた[ 4] .。アルデシュ県はフランス第二帝政時代に人口がピークを記録し、1861年 に約38万人がいた。農村県であり、どこにも大都市はなかった。しかしその地形のために、アルデシュは他県以上に農村からの人口流出の影響を受けた。
19世紀終わり、県南部のワイン生産者はフィロキセラ 流行で被害を受けた(19世紀フランスのフィロキセラ禍 )。その後アルデシュは、戦間期に重い代償を支払った。第一次世界大戦 の終わった1918年 、12,000人のアルデシュ出身男性が前線から戻ってこなかった。第二次世界大戦 期には、抵抗者はマキ に加わり、逮捕や拷問を受けたが、結果的にナチス・ドイツ の退却を早めた。
戦後、小さな業種は生き残るか、ラルジャンティエール鉱山のように消滅した。農業では、20世紀半ばからエリューのモモや南部のサクランボが有名になった。1962年 以降、アルデシュ県内の労働者数は、県で生活する労働者数を上回るようになった[ 4] 。観光業は、アルデシュの北から地中海に近い地域まで(オーブナとアルデシュ河口まで)の間で、経済の重要な要素となっている。
人口統計
1968年
1975年
1982年
1990年
1999年
2008年
2009年
2011年
256 927
257 065
267 970
277 581
286 023
305 804
313 693
320 736
出典:SPLAF[ 5] 、2006年および2007年はINSEE[ 6] [ 7]
主なコミューン
人口5000人以上のコミューンは以下のものである。
コミューン
人口 2007
変遷 2007/1999
コミューン
人口 2007
変遷 2007/1999
アノネー
17,257[ B 1]
== -1,5 %
プリヴァ
8,646[ B 2]
-5,6 %
オーブナ
11,820[ B 3]
7,3 %
ル・トゥイユ
7,940[ B 4]
== -0,8 %
ギレラン=グランジュ
10,847[ B 5]
== 1,3 %
ブール=サンタンデオル
7,333[ B 6]
-6 %
トゥルノン=シュル=ローヌ
10,571[ B 7]
6,1 %
サン=ペレ
7,254[ B 8]
11,5 %
出典: Insee[ 8]
言語
県最北部のいくつかのコミューンではアルピタン語 が話されるが、その他の県の大部分ではオック語 が話される。
オーヴェルニャ語 - 西部
ラングドック語 - 南部
ヴィヴァロ・アルパン語 - オー・ヴィヴァレおよびブティエール周辺
現在、こうした地方言語の話者は高齢者層だけに減っている。地域言語保存の主な動きとして、オック語研究所がある。
経済
産業革命は非常に早くにアルデシュに到達していた。リヨン の絹織物工房のためオリヴィエ・ド・セールが開発した養蚕 がもたらされていた。20世紀初頭まで、農家は絹織物工房に卸すためにカイコ を飼うマニャヌリーという建物を所有していた。しかしこの経済活動は19世紀終わりから衰退していく。いくつかの織物会社が残り、県南部には桑畑がある。
中小企業が多かったため織物製造が盛んだった。その他に自動車製造、プラスチック製造、製革業、製紙業、アグリビジネスおよびジュエリー製造があった。重工業が一部に配備されている(クリュアス原子力発電所 など)。
食品製造では畜産、チーズ、製菓業(クリのクリーム、マロン・グラッセ)、ハチミツ、アルコールの分野で行われている。
県内にローヌワイン の村名AOC サン=ペレ がある。
ギャラリー
脚注
出典
^ 三省堂編修所 編『コンサイス 外国地名事典』(3版)三省堂 、1998年、50頁。ISBN 4-385-15338-8 。
^ Armand Frémont, « La terre », in Les Lieux de mémoire, tome III (dir. Pierre Nora), Quarto Gallimard, 1997, p. 3047-3080 (en part. p. 3050 sq.)
^ “MONTS D'ARDÈCHE UNESCO GLOBAL GEOPARK (France) ” (英語). UNESCO (2021年7月27日). 2022年10月20日 閲覧。
^ a b fr:Armand Frémont , « La terre », in Les Lieux de mémoire , tome III (dir. Pierre Nora ), Quarto Gallimard, 1997, p. 3047-3080 (en part. p. 3050 sq.)
^ http://splaf.free.fr/
^
"Recensement de la population au 1er janvier 2006" . Insee .
^
"Évolution et structure de la population du département (de 1968 à 2007)" . Insee .
^ "Résultats du recensement de la population - 2007 - Bases de chiffres clés (évolution et structure de la population)" . INSEE .
2007年1月1日時点の人口としてINSEEが公表
^ "Annonay" .
^ "Privas" .
^ "Aubenas" .
^ "Le Teil" .
^ "Guilherand-Granges" .
^ "Bourg-Saint-Andéol" .
^ "Tournon-sur-Rhône" .
^ "Saint-Péray" .
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
アルデシュ県 に関連するメディアがあります。