ヴォージュ県
ヴォージュ県 (ヴォージュけん、Vosges) は、フランス北東部、グラン・テスト地域圏の県。名称は県面積の大部分を占めるヴォージュ山脈に由来する。 歴史百年戦争時のジャンヌ・ダルクは、この地域の小さなコミューンであるドンレミ=ラ=ピュセルの出身である。 かつてのロレーヌ州の南部、いくつかのシャンパーニュのコミューン、フランシュ=コンテのコミューンを合わせて、1790年3月4日にヴォージュ県として新設された。神聖ローマ帝国に属するザルム=ザルム公領がロレーヌ内に飛び地となって残っていた。1792年にはフランス革命軍がザルム=ザルム公領を包囲したため、食料の供給が断たれた。1793年3月2日の国民公会によって、公領の併合が批准された。1795年、アルザスに属していたシールメック一帯がバ=ラン県からヴォージュ県に移った。 1871年、普仏戦争後のフランクフルト講和条約によって、ヴォージュ県の18のコミューン、シールメック小郡とサール小郡の半分(人口は合わせて約21000人、面積19415ha)がドイツ帝国に併合された。1919年のヴェルサイユ条約により、奪われた領土はフランスに返還されたが、バ=ラン県に属することになった。 地理ヴォージュ県はムーズ県、ムルト=エ=モゼル県、バ=ラン県、オー=ラン県、テリトワール・ド・ベルフォール県、オート=ソーヌ県、オート=マルヌ県と接している。県は4つの河川の流域にまたがっている。ライン川、モーゼル川、ヴォロニュ川、ムルト川である。 県域はヴォージュ山脈の一部である。県西部は丘陵地で森林に覆われている。東部は花崗岩質や砂岩質がちで、標高が高くなり、針葉樹林で覆われている。県の植林率は47%で、ギュイヤンヌ・フランセーズ、ランド県、ヴァール県に次いで国内第4位である[1]。 人口統計
主なコミューン以下に人口5000人以上のコミューンの人口の変遷を記す。
関係者出身者→「Category:ヴォージュ県出身の人物」を参照
居住者・ゆかりの人物
ギャラリー
脚注出典
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