アリス・クーパー
アリス・クーパー(Alice Cooper、1948年2月4日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン、シンガーソングライター、俳優。 1970年代前半に『アリス・クーパー』のメンバーとして活動し、ロック音楽と演劇的ショーを融合してアメリカのグラムロックの代表格になった。その幻想的かつ創造的なパフォーマンスはショック・ロックとも形容された。代表曲には「スクールズ・アウト」(1972年)、「アリスは大統領」(1973年)、「ノー・モア・ミスター・ナイス・ガイ」(1973年)などがある。 1975年に『アリス・クーパー』が解散した後はソロとして活動。代表曲に「ポイズン」(1989年)などがある。 来歴ミシガン州デトロイト出身、出生名はヴィンセント・デイモン・ファーニア(Vincent Damon Furnier)。 →詳細は「アリス・クーパー (バンド) § デビューまで」を参照
『アリス・クーパー』での活動![]() 1969年、クーパー(ボーカル)、グレン・バクストン(リード・ギター)、マイケル・ブルース(リズム・ギター)、デニス・ダナウェイ(ベース・ギター)、ニール・スミス(ドラムス)からなる『アリス・クーパー』は、フランク・ザッパのストレイト・レコードと契約を結び[5][注釈 1]、デビュー・アルバム『プリティーズ・フォー・ユー』を発表した。同年9月13日、トロント・ロックンロール・リバイバルに出演し、翌日の全国紙でクーパーがニワトリを噛みちぎってその血を聴衆に吹きかけたと報道された。しかし彼は、ニワトリを聴衆に向かって投げたところ車椅子の観客に踏み潰されたのだ、と語っている[6]。ストレイト・レコードからは1970年に『イージー・アクション』、1971年に『エイティーン』を発表。後者の共同プロデューサーの一人にボブ・エズリンを迎えた。 同年、ワーナー・ブラザーズに移籍して『キラー』を発表。翌1972年に発表したアルバム『スクールズ・アウト』がティーンエイジャーを中心に支持され大ヒットし、クーパーは一躍人気ロッカーとなった。同アルバムのオリジナル・アナログ盤は紙製のパンティーに包まれていたことも話題となった。 1973年、「アリスは大統領」を収録したアルバム『ビリオン・ダラー・ベイビーズ』を発表。クーパーは同アルバムのプロモーションのために、実際にアメリカ大統領選挙に出馬している。彼の回想によれば、ジョン・レノンは「アリスは大統領」を気に入って、三日続けて彼のもとへ通ってきたという[7]。同アルバムからは「ノー・モア・ミスター・ナイス・ガイ」もヒットした。1973年にはシュルレアリスム画家のサルバドール・ダリが自ら希望して彼のショウに出演した。 1974年、映画『007 黄金銃を持つ男』の主題歌候補として「黄金銃を持つ男」[注釈 2]を歌うが、最終選考でルルに敗れた[8]。 『アリス・クーパー』はアルバム『マッスル・オブ・ラヴ』(1973年)を発表後、1975年に解散を発表した。 ソロ活動![]() 同年、クーパーはソロ活動を開始し、初のソロ・アルバム『悪夢へようこそ』を発表。 1980年代初頭には勢いを失うが、1980年代中期から再び脚光を浴び、1989年には豪華ゲストを迎えた『トラッシュ』が大ヒットを記録した。その後も幾度となく浮沈を繰返したが、現在においてもなお精力的に活動を行っており、「キッス」や「エアロスミス」と並ぶ、アメリカン・ハードロック界の重鎮ともいえる存在である。 クーパーのバンドは、後に「ウィンガー」を結成するキップ・ウィンガーや「メガデス」などで活躍するアル・ピトレリを初めとした、多くのプレイヤーを輩出した。 ![]() 俳優としても活躍し、TVシリーズ『名探偵モンク』シーズン5第2話「悪夢のゴミ戦争」に本人役で出演、映画『エルム街の悪夢』シリーズの『ザ・ファイナルナイトメア』にも出演[9]。映画『ダーク・シャドウ』にも本人役で出演した[10]。 ![]() 近年は、意気投合したジョニー・デップらとスーパーグループ・プロジェクト「ハリウッド・ヴァンパイアーズ」を発足させ、ボーカリストとして名を連ねている[11]。 2011年、『アリス・クーパー』がロックの殿堂入りした[12][13]。式典にはクーパーら存命する元メンバー全員が出席し、ロブ・ゾンビから表彰された。 2014年、ドキュメンタリー映画"Super Duper Alice Cooper"が公開された。 2024年、"Biography: Alice Cooper"が公開された[14]。 人物アリス・クーパーの名は若い頃に見た夢に出てきた魔女の名前からとったというエピソードが有名だが、真相は、可愛らしい女の子の名前を付けて実際の音楽とのギャップを狙ったものであると、本人が『プライム・カッツ』のなかで証言している[注釈 3]。 グラムロックのスターだった1970年代前半にはパンダのようなメイクをしており、ダミ声ともいえる唱法で一世を風靡した。 ショック・ロックの元祖として一部のロッカーに慕われている。オジー・オズボーン、エアロスミス、トーキング・ヘッズ、ガンズ・アンド・ローゼズをはじめ、特にグラムロックやハードロックのミュージシャンが彼のファンであることを告白し、ベスト盤の特別収録曲にバッキング・メンバーとして参加している。 マスメディアに政治的な保守派だと決めつけられているが、2016年の大統領選挙で出馬を検討したり、トム・ハンクスに投票すると語るなど、一筋縄ではいかない人物である[7]。時にその実像が、世間でのイメージとの乖離を生じ、パーティー・クラッシャーと誤解されがちな一面も持つ。当人はパーティーも好む気さくな人物である。 ギャラリー
アリス・クーパー・バンド
ディスコグラフィアリス・クーパースタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
ソロスタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
コンピレーション・アルバム
ビデオ作品
日本公演
※ハリウッド・ヴァンパイアーズの一員として、2018年9月15日 東京 Zeppダイバーシティにて一夜限りの特別公演(観客はアサヒビールの商品キャンペーンに当選した者や招待された関係者のみ)を行った。 ※1973年10月 大蛇を連れて単身で初来日しているが、記者会見や雑誌インタビューといったプロモーションのみでショウの類は行わなかった。 脚注注釈
出典
関連項目外部リンク |
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