わいわいサタデー
わいわいサタデーは、朝日放送(ABCテレビ)で放送された生放送ワイド番組[1]。 概要アクティ大阪15階に開設されていたサテライトスタジオ・ABCエキスタからの公開生放送によるステージ企画および、VTR企画から成った。 メインのステージ企画で多く行われたのが、毎週趣向を凝らしたテーマで行われる「女性なんでもコンテスト」であった。 放送時間の変遷1983年4月30日から1995年3月25日までのほぼ全期間を通じ、基本的に毎週土曜日の14時00分から15時50分 (JST) に放送された。ただし、1985年4月から10月までの半年間のみ、正午から15時50分の4時間にわたり、枠内に2つの内包番組を編成した3部構成の番組になったが、わずか半年で解消し、元の14時00分から15時50分までの放送時間に戻った(同年10月以降の12時台は浜村淳司会のクイズ番組『夫婦でありがとう』、13時台は『吉本ライブバラエティ もしかして花月』、14時台は『わいわいサタデー』に再分割された)。 ネット局
出演者コーナーのみのレギュラー等は後述。 メイン司会準メイン司会
サブ司会主なゲストいずれもコンテストコーナーの審査員
主なコーナー番組におけるコーナー進行の一例。
コンテストコーナー
番組のメイン企画。毎回あるテーマに沿ったミス・コンテストを開催。放送時間全体にわたり、水着審査、特技審査、最終審査(毎回そのテーマに沿った様々な試みに挑戦する実技)を他のコーナーをはさみながら行った。優勝者には本物のミスコンと同じようにたすきとティアラ、そしてハワイ旅行が贈呈された。 審査には、中村鋭一らレギュラーの審査メンバーに加え、過去の同コンテスト優勝者(10人程度)が参加し、そして視聴者の「サーチホン」によるアンケート結果が加えられた。「サーチホン」は、プッシュ回線を利用した双方向アンケートシステムであり、かつて同局・同枠で放送されたクイズ番組『電話でドン!』でも用いられた。 のちに芸能界入りした人物が出場している。「小学生美人コンテスト」にデビュー以前の吹石一恵(1992年、小学4年生の頃10歳)が出場し、準優勝を獲得したほか、別日の「小学生美人コンテスト」に仲根かすみが出場した。最終回では、「スーパーグランドチャンピオン大会」を開催。 他のコーナー
かつて一世を風靡した有名人を視聴者からのリクエストで捜索し、追跡するコーナー。
関西の町を探索するコーナー。
芸人の弟子が3か月間ホームステイするドキュメントコーナー。
桂文福が街頭でインタビューをし、不満や愚痴をぶつけるコーナーで、文福が「トホホ〜」と言うセリフが有名だった。
熱烈な阪神タイガースファンの中村鋭一が阪神タイガースのその週の試合結果と選手を紹介するコーナー。
番組初期のコーナー。『ワイドショー・プラスα』に出演していた松本佳代子(元南海放送アナウンサー、出演当時フリー)が各地の観光スポットをリポートしていた。 3部構成時代の内包番組のりお・よしおのジョーダンはよせ!のりお・よしおのジョーダンはよせ!は、1985年4月から同年10月まで朝日放送『わいわいサタデー』の枠内で放送されたトークバラエティ番組。司会は西川のりお・上方よしお。放送時間は12時00分から12時58分。トークコーナーおよび、視聴者参加コーナーで構成された。
もしかして花月→「もしかして花月」を参照
脚注
前後番組
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