加藤吉治郎
加藤 吉治郎(かとう きちじろう、1947年1月[1] - )は、日本のラジオ番組・テレビ番組制作ディレクター、作曲家、音楽プロデューサー、著作家、メディアコーディネーター、実業家。 滋賀県出身。別名 弟子 吉治郎(でし きちじろう)。 「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)である[2]。 来歴・人物生家は米原市でまんじゅう店を営んでいた[3]。彦根東高校、関西学院大学卒業。中部日本放送 (CBC) 入社後、ラジオ番組のディレクターなどとして活動。1974年、自身がディレクターを担当していた番組『ばつぐんジョッキー』の企画より、地元名古屋市を本拠地とするプロ野球球団・中日ドラゴンズの応援歌『燃えよドラゴンズ!』(作詞・作曲:山本正之。以下、燃えドラ)を同番組パーソナリティ・板東英二の歌唱によりリリースさせ、ヒットさせる。1980年代には、テレビの『ぱろぱろエブリデイ』のチーフディレクターを務め、それまでアニメの再放送などの横並び状態であった夕方の時間帯を開拓。また、同番組からなめ猫ブームも巻き起こした。 CBC退職後、メディアコーディネーターの肩書で活動している。CBCを離れてすぐに制作会社・WINを設立し率いた後、1996年7月3日に、オフィスきちじろうを設立[1]。代表を務める。同社では、テレビ番組の構成や燃えドラの著作権管理を行うほか、2004年以降「燃えドラプロジェクト オフィスきちじろう」名義で燃えドラの新作CDの発売を手掛けている(燃えドラ新作のプロデュースも加藤が行っている)。また、山本の事務所山本正之なごやオフィス社長[4]や放送批評懇談会会員も務める。 『ばつぐんジョッキー』パーソナリティの一人であった上岡龍太郎とは、CBC時代の1973年にラジオディレクターとして出会って[5]から親交が深く、テレビ番組の構成や独演会の舞台演出を行っている。1995年には上岡に弟子入りし「弟子 吉治郎」(でし きちじろう)を名乗り、上岡との共著書を発行するなど活動、引退後も親しく交流していた。上岡が引退直前にNHK『日本の話芸』で語った「海辺にて」の原作は弟子である[6]。 「弟子吉治郎」名義は、上岡との共著以外でも使用されている。 また、立川談志とも親交が深く、談志没後に『立川談志 鬼不動 天空のネタ下ろし』を刊行している[7]。松坂屋名古屋店で開催していた「松坂屋寄席」にも携わっていた。 詳細情報制作番組
音楽
CM
著書すべて「弟子吉次郎」名義である。 上岡龍太郎との共著
単著
電子書籍のみすべてEbook japanからの発行である。
関連項目脚注
外部リンク
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