たて座 (たてざ、Scutum)は現代の88星座 の1つ。17世紀 末に考案された新しい星座 で、盾 がモチーフとされている。全天で5番目に小さい星座で、明るい星はないがメシエカタログ に登録された2つの散開星団 がある。
主な天体
4等星より明るい星はないが、変光星 やメシエカタログ にリストアップされた2つの散開星団 はアマチュア天文家の観測対象とされる。
恒星
2022年 4月現在、国際天文学連合 (IAU) が認証した固有名を持つ恒星は1つもない[ 3] 。
星団・星雲・銀河
由来と歴史
たて座は、ポーランド の天文学者 ヨハネス・ヘヴェリウス が、1684年 8月刊行の学術誌『ライプツィヒ学術論叢 (Acta Eruditorum )』に「ソビエスキの盾 」という意味の Scutum Sobiescianum として星図とその説明を掲載したことに始まる[ 14] 。この「ソビエスキ」は、時のポーランド王ヤン3世 ソビエスキ (ポーランド語 : Jan III Sobieski ) のことである[ 14] 。ヤン3世は、前年の1683年 に起きたオスマン帝国 による第二次ウィーン包囲 の際、「フサリア 」と呼ばれる騎兵を率いてウィーン 包囲中のオスマン軍を強襲し、これを潰走させるという戦史に残る武勲を立てたばかりで、Scutum Sobiescianum はその栄誉を称えたものとされる[ 15] 。また、1679年 にヘヴェリウスが観測施設を焼失した際、その再建をヤン3世が支援してくれたことへの個人的な恩義も動機になったと見られる[ 14] 。ヘヴェリウスは、『ライプツィヒ学術論叢』に載せた説明文で1678年にエドモンド・ハリー が考案した星座 Robur Carolinum(チャールズの樫の木 )を引き合いに出し、ヤン3世の威光と自身の正当性を強調した[ 14] [ 16] 。また、彼の死後の1690年に出版された『Prodromus Astronomiae』では、彼が考案した他の星座よりも多くの紙幅を割いてヤン3世の偉業とそれを讃えて星座とする意義を説明している[ 17] 。
『ライプツィヒ学術論叢』の誌上で Scutum Sobiescianumは、キルヒがザクセン選帝侯 ヨハン・ゲオルク3世 を顕彰するために考案した Gladii Electorales Saxonici(ザクセン選帝侯の双剣 )と並べて掲載された[ 16] 。ともに封建領主の威徳を称えるために考案された2つの星座であったが、Scutum Sobiescianum が名前を変えながらも「たて座 (Scutum)」として88星座の1つとして生き存えているのに対して、Gladii Electorales Saxonici はこれを採用する者もなく廃れてしまった[ 18] 。
Scutum Sobiescianum も後世の天文学者たち全てに受け入れられた訳ではなく、この多分に政治的な動機で設けられた星座を忌避する動きも見られた。たとえば、イギリス の初代王室天文官 となったジョン・フラムスティード が編纂し、死後の1725年 に出版された星表『大英恒星目録 (Catalogus Britannicus)』や1729年 に出版された星図『天球図譜 (Atlas Coelestis)』では、ヘヴェリウス考案の他の星座が掲載される一方で、Scutum Sobiescianum の存在は完全に無視された[ 14] [ 19] [ 20] 。しかし、ジャン・ニコラ・フォルタン (英語版 ) らが1776年にフランスで刊行した『天球図譜』の改訂版では l'Ecu de Sobieski として復活している[ 21] [ 注 1] 。また、1801年 にドイツの天文学者ヨハン・ボーデ が刊行した星図『ウラノグラフィア (Uranographia)』では Scutum Sobiesii の名称で[ 14] 、1822年 にイギリスの教育者アレクサンダー・ジェイミソン が出版した『A Celestial Atlas』[ 注 2] では Scutum Sobieski という名称で[ 22] それぞれ描かれており、18世紀 から19世紀 にかけて星座の1つとして受容されていたことがうかがえる。
しかし、イギリスの天文学者フランシス・ベイリー は、彼が世を去った翌年の1845年 に刊行された星表『British Association Catalogue』で現在使われている星座とほぼ同じ87の星座をリストアップしながら、Scutum Sobiescianum を除外していた[ 23] 。このベイリーの姿勢は、後年アメリカ の天文学者ベンジャミン・グールド から「天文学者たちによってあまねく採用されているヘヴェリウスのScutumを抑圧することに一体どんな利益があるのかわからない」と批判されている。結局、1879年 にグールドが刊行した著書『Uranographia Argentina』で、星座名を Scutum と短縮した上で採用され、バイエル符号 風のギリシア文字 の符号をαからηまで付されたことにより、Scutum の星座としての地位が確たるものとなった[ 14] 。
1922年 5月にローマ で開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Scutum 、略称は Sct と正式に定められた[ 26] 。新しい星座のため星座にまつわる神話や伝承はない。
中国
古今図書集成 に描かれた斗宿の図。たて座の星は右上の天弁に配されていた。
18世紀半ばにドイツ人宣教師ケーグラー(中国名戴進賢)らが編纂した星表『欽定儀象考成』では、たて座の星々は二十八宿 の北方玄武七宿の第一宿「斗宿 」に配された。たて座のα・δ・ε・β ・ηの5星が、わし座の4星とともに天子のかぶる冠を表す星官 「天弁」を成すとされた[ 27] 。
呼称と方言
日本では、明治末期には「楯 」という訳語が充てられていたことが、1910年 (明治43年)2月刊行の日本天文学会 の会報『天文月報』第2巻11号に掲載された「星座名」という記事でうかがい知ることができる[ 28] 。この訳名は、1925年 (大正14年)に初版が刊行された『理科年表 』にも「楯(たて) 」として引き継がれた[ 29] 。戦後の1952年 (昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[ 30] とした際に、Scutum の日本語の学名は「たて 」と定められ[ 31] 、これ以降は「たて」という学名が継続して用いられている。
天文同好会 [ 注 3] の山本一清 らは、既にIAUが学名を Scutum と定めた後の1931年(昭和6年)3月に刊行した『天文年鑑 』第4号で、星座名を Scutum Sobiescianum、訳名を「ソビエスキの楯」と紹介し[ 32] 、以降の号でもこの星座名と訳名を継続して用いていた[ 33] 。
現代の中国では盾牌座 と呼ばれている[ 34] 。
脚注
注釈
^ フォルタンらによる『天球図譜』の第10図には2つの版が存在することが知られているが、いずれの版でも l'Ecu de Sobieski が描かれている[ 21] 。
^ いわゆる『ジェミーソン星図』。
^ 現在の東亜天文学会 。
出典
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参考文献
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、たて座 に関するカテゴリがあります。
ウィクショナリーには、たて座 の項目があります。