西方ギリシア文字(せいほうギリシアもじ、Western Greek alphabet)とは、初期ギリシア文字群のうち(紀元前8世紀から紀元前5世紀頃まで)、西方地域に分布したギリシア文字(および字形)の総称。後にギリシアでは標準となった東方の字形(東方ギリシア文字)とは差があり区別される。
これに先立つ最初期のギリシア文字はフェニキア文字を元として、ギリシア語に必要な5種類の母音を表すことが可能なアルファベットを創った(母音字を作るために、文字の転用[1]およびΥ [u] の追加[2]を行なった)。なおそれを受け継いだクレタ(南方ギリシア)ではその後もこれを長く用いた。
これに対し、西方ギリシア文字ではさらに Φ、Χ、Ψ の文字を付け加え、これらの帯気音・子音結合を一文字で表した。ペロポネソス半島、エウボイア島周辺、イタリア半島、アナトリア半島の一部(リュキア文字)で使用された。エウボイア文字(Euboean alphabet)・カルキス文字(Chalcidian alphabet)とも呼ばれる。
この文字は、エウボイア島(ユービア島)から、イスキア島やイタリア半島の植民市・クマエへ持ち込まれ、ほぼそのままの形で最初期のエトルリア文字・ラテン文字などの古イタリア文字として用いられ派生していった。この流れは歴史的に重要視され、クマエ文字(Cumaean alphabet)とも呼ばれる。
ギリシア文字の分類は大きく3種類の類型に区別される。
これらの区別は、帯気音 [pʰ kʰ][4] および子音結合 [ps ks] をどのように表すか、および新たな文字 Φ、Χ、Ψ の導入の有無などの点で異なる[5]。すなわち、
ほかに、s の音を表すのにΣ(シグマ)とϺ(サン)のどちらを使うかについても地域差があった。
西方ギリシア文字は紀元前4世紀の中頃までに消滅した。これは東方ギリシア文字がギリシア語圏のほぼすべてへ広がり標準の地位を獲得したためである[7]。ただしイタリア半島では西方ギリシア文字を受け継ぎ、その後も用いられた。
紀元前6世紀に、東方ギリシア文字地域にあたる小アジア(イオニア)のミレトスで、長い ē ō を表す文字 Η、Ω が考案された[8]。また、イオニア方言で使われない文字( w の音を表す文字など)が削除され、24文字からなるアルファベットが成立した。紀元前5世紀になるとこのミレトス・アルファベットがほかの地域でも使われるようになった(アッティカでは紀元前403/402年に採用した)。
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