ミニマル音楽の演奏者としては、スティーヴ・ライヒ、ジョン・ギブソン、ポーリン・オリヴェロス、モートン・サボトニックが挙げられる。他にも星の数ほどの演奏家(例えばジョン・クーリッジ・アダムズ、フィリップ・グラス)に影響を与え続けている。それはまさに発明というべきであった。曲は53個の独立したモジュールからなり、それぞれのモジュールはほぼ1拍の長さで、おのおのが異なった音楽のパターンを有している(だが、タイトル通りすべてハ長調 in C である)。演奏者の一人はピアノから一定したハ音の連続を繰り出し、テンポを維持する。他の演奏者の人数と用いる楽器は任意で、いくつかのゆるやかなガイドラインに従ってそれらのモジュールを演奏する。その結果、時とともに異なったモジュールが様々に連動しあって行くのである。「Keyboard Studies」も同様の構造を持つ独奏曲である。
極小の音楽要素を集めて複雑で稠密な全体像を造り上げるこの様式は、凝り固まりつつあった西洋クラシック音楽のアカデミズムから離れる運動をもたらした。20世紀半ばの音楽界は、新ウィーン楽派の複雑な構築と新古典主義音楽によって埋め尽くされていた。ミニマリズム運動はこのような形式主義を放棄した。ライリーは更に一歩を進め、しばしば即興的要素を作曲に取り入れることで緊密な構成を否定するようになった(独奏者としては即興演奏の経験は長かった)。1968年の「A Rainbow in Curved Air」がこの種の技法を用いた最初期のものである。この作品及び対になる「Poppy Nogood and the Phantom Band」(1969年録音)は、ライリーの徹夜コンサートの印象を伝えるものである(そこまで長くはできなかったが)。
1950年代には当時黎明期にあったテープループ技法を用い、それ以降もテープを用いた音楽効果をスタジオでもライブでも研究し続けた。微分音を用い、純正律の音楽も作曲した。ロヴァ・サクソフォーン・カルテット、ポーリン・オリヴェロス、クロノス・クァルテットだけではなくマイケル・マクルーアとのコラボレーションも行った。マイケル・マクルーアは脚本家で、作曲のライリーと共にアルバムを制作した。「A Rainbow In Curved Air」は、ロック・バンド、ザ・フー[12]のギタリストであるピート・タウンゼントのシンセサイザーパートにインスピレーションを与え、「Won't Get Fooled Again」と「ババ・オライリィ」[13]を生んだ。後者はライリーと共に、メヘル・バーバーに捧げられている。「A Rainbow In Curved Air」からバンド名を取ったロック・バンド、カーヴド・エア がイギリスから誕生している。また、マイク・オールドフィールドの「チューブラーベルズ」(ヴァージン・レコード)[14]も、ライリーのミニマル音楽から強い影響を受けている。