RNA誘導サイレンシング複合体 (RNAゆうどうサイレンシングふくごうたい、英 : RNA-induced silencing complex 、略称: RISC )は、タンパク質複合体 、リボヌクレオタンパク質 であり、転写 や翻訳 段階においてさまざまな経路を介して遺伝子サイレンシング を行う機能を持つ[ 1] 。RISCはmiRNA などの一本鎖RNA 断片や二本鎖のsiRNA を利用して、遺伝子調節の重要なツールとして機能する[ 2] 。RNAの一本鎖はRISCが相補的 なmRNA 転写産物を認識する際の鋳型として機能し、相補的なmRNAが見つかると、RISCを構成するタンパク質の1つであるArgonaute がmRNAを切断する。この過程はRNA干渉 (RNAi)と呼ばれ、多くの真核生物 でみられる。RNAiは二本鎖RNA(dsRNA)の存在によって開始されるため、ウイルス 感染に対する防御の重要な過程として機能する[ 1] [ 3] [ 4] 。
発見
RISCの生化学的な同定は、コールド・スプリング・ハーバー研究所 のグレゴリー・ハノン (英語版 ) らによって行われた[ 5] 。アンドリュー・ファイアー とクレイグ・メロー によるのRNAiの発見(1998年)からわずか2年後のことであった[ 3] 。
キイロショウジョウバエDrosophila melanogaster
ハノンらは、ショウジョウバエ Drosophila の細胞において、dsRNAによる遺伝子サイレンシング に関与するRNAi機構の同定を試みており、ショウジョウバエS2細胞 (英語版 ) をlacZ 発現ベクター でトランスフェクション し、β-ガラクトシダーゼ 活性によって遺伝子発現 の定量を試みた。lacZ のdsRNAを共にトランスフェクションすると、コントロールdsRNAの場合と比較して、β-ガラクトシダーゼ活性が大きく低下した。ここから、dsRNAは配列の相補性を利用して遺伝子発現を制御していることが示された。
その後、ショウジョウバエのサイクリンE をコードするdsRNAを用いてS2細胞のトランスフェクションが行われた。サイクリンEは細胞周期 のS期 への進行に必要不可欠な因子であるが、サイクリンEのdsRNAは細胞周期をG1 期 (S期の前の段階)で停止させた。ここから、RNAiは内因性遺伝子を標的とすることができることが示された。
さらに、サイクリンEのdsRNAはサイクリンEのmRNAのみを減少させ、同様の結果は細胞周期のS期、G2 期 、M期 に作用するサイクリンA のdsRNAを用いた場合でも示された。このことは、RNAiの特徴である、加えられたdsRNAに対応するmRNAのレベルが低下することを示している。
mRNAレベルの低下が(他の系でのデータから示唆されるように)直接的な標的化の結果であるのかどうかを確かめるため、ショウジョウバエS2細胞をサイクリンEまたはlacZ のいずれかのdsRNAでトランスフェクションを行い、その後サイクリンEまたはlacZ の合成mRNAをインキュベーションした。その結果、サイクリンEのdsRNAでトランスフェクションを行った細胞でのみサイクリンE転写産物が分解され、一方lacZ 転写産物は安定であった。逆に、lacZ のdsRNAでトランスフェクションを行った細胞のみlacZ 転写産物が分解され、サイクリンE転写産物は安定であった。これらの結果に基づいてハノンらは、RNAi機構は配列特異的なヌクレアーゼ 活性によって標的mRNAを分解していることを示唆した。彼らはそのヌクレアーゼ活性を担う酵素をRISCと命名した[ 5] 。
RNA干渉における機能
dsRNAと複合体を形成したArgonauteタンパク質のPIWIドメイン
siRNA/miRNAの取り込み
RNase III (英語版 ) ファミリーに属するDicer は、二本鎖のsiRNAや一本鎖のmiRNAを産生することでRNAi過程を開始する、RISCの重要なメンバーである。細胞内でのdsRNAの酵素的切断によって、長さは21–23ヌクレオチドで3'末端に2ヌクレオチドのオーバーハングを持つ、短いsiRNA断片が形成される[ 6] [ 7] 。また、Dicerはヘアピンループ構造を形成してdsRNAを模倣しているpre-miRNAに対しても同様のプロセシングを行う。dsRNA断片はRISCにロードされるが、asymmetry ruleと呼ばれる現象により、熱力学的安定性に基づいて一方の鎖がガイド鎖として選択される[ 8] [ 9] [ 10] [ 11] 。こうして形成されたmiRNAやsiRNAは、RISCがmRNAを分解標的とする際の一本鎖のガイド配列として作用する[ 12] [ 13] 。
熱力学的安定性の低い5'末端を持つ鎖がArgonaute タンパク質によって選択され、RISCに取り込まれる[ 11] [ 14] 。この鎖はガイド鎖と呼ばれ、mRNAを分解標的とする。
もう一方の鎖はパッセンジャー鎖と呼ばれ、RISCによって分解される[ 15] 。
RNAi経路の一部を示した図。RISCはさまざまな経路でmRNAを介した遺伝子のサイレンシングを行う。
遺伝子の調節
RISCの主要なタンパク質であるAgo2 (英語版 ) 、SND1 (英語版 ) 、AEG-1 は、遺伝子サイレンシング機能に重要な役割を果たす[ 16] 。
RISCはmiRNAまたはsiRNAのガイド鎖を用いて、ワトソン・クリック型の塩基対形成によってmRNA転写産物の3' UTRの相補的領域を標的とし、さまざまな方法によるmRNA転写産物からの遺伝子発現の調節を可能にする[ 1] [ 17] 。
mRNAの分解
RISCの最もよく解明されている機能は、標的mRNAの分解によってリボソーム による翻訳 に利用される転写産物の量を減少させることである。Argonauteによる、RISCのガイド鎖に相補的なmRNAのエンドヌクレアーゼ 的切断は、RNAiの開始に重要である[ 18] 。mRNAの分解が行われるためには、2つの重要な要求事項が存在する。
ガイド鎖と標的mRNA配列とのほぼ完全な相補性
「スライサー」(slicer)と呼ばれる標的mRNA切断活性を持つArgonauteタンパク質の存在[ 1]
mRNAの切断が行われた後の分解には、2つの主要な経路が存在する。どちらもmRNAのポリ(A)テール の分解によって開始され、mRNAの5'キャップ の除去が行われる。
翻訳抑制
RISCは翻訳時のリボソームや補助因子のローディングを調節し、結合したmRNA転写産物の発現を抑制することができる。翻訳抑制には、ガイド鎖と標的mRNAとの配列の相補性は部分的なものでよい[ 1] 。
翻訳開始後段階での調節
ペプチドの分解
翻訳中のリボソームの上流での終結の促進[ 21]
伸長反応の遅延[ 22]
開始段階での翻訳抑制と開始後段階での抑制が相互排他的であるのかについては、いまだ推測の域を出ていない。
ヘテロクロマチンの形成
一部のRISCはゲノムを直接的に標的化することができ、特定の遺伝子座 へヒストンメチルトランスフェラーゼ をリクルートしてヘテロクロマチン を形成し、遺伝子のサイレンシングを行うことができる。こうしたRISCはRNA誘導転写サイレンシング (英語版 ) (RITS)複合体の形をとる。酵母のRITSが最もよく研究されている[ 1] [ 23] [ 24] 。
RITSはセントロメア リピート配列を認識し、ヘテロクロマチンの形成を指示することが示されている。siRNA(ガイド鎖)と転写新生鎖との塩基対形成によって、特定の染色体領域へRITS、そしてヒストン修飾酵素 がリクルートされると考えられている[ 25] 。
RITSは新生mRNA転写産物を分解するが、その機構の詳細は解明されていない。この機構は、分解された新生転写産物がRNA依存性RNAポリメラーゼ (RdRp)によって利用され、より多くのsiRNAが形成される、という自己増幅型のフィードバックループとして作用することが示唆されている[ 26] 。
分裂酵母 とシロイヌナズナ では、DicerによるdsRNAのsiRNAへのプロセシングは、ヘテロクロマチン形成による遺伝子サイレンシング経路を開始する。AGO4と呼ばれるArgonauteタンパク質は、ヘテロクロマチン配列を定義する低分子RNAと相互作用する。ヒストンメチルトランスフェラーゼはヒストンH3 (H3K9)をメチル化し、メチル化部位にクロモドメイン タンパク質をリクルートする。ヘテロクロマチンが確立され拡大するにつれて、DNAのメチル化 によって遺伝子のサイレンシングが維持される[ 27] 。
DNAの除去
テトラヒメナ では、RISCによって形成されたsiRNAは体細胞での大核 の発生時にDNAを分解する役割を持っているようである。この機構は上述のヘテロクロマチン形成機構と類似しており、侵入してきた遺伝的エレメントに対する防御として機能することが示唆されている[ 27] 。
分裂酵母やシロイヌナズナにおけるヘテロクロマチン形成と同様に、テトラヒメナでもArgonauteファミリーのTwi1pがinternal elimination sequence(IES)と呼ばれる標的配列のDNAの除去を触媒する。メチルトランスフェラーゼやクロモドメインタンパク質によって、IESはヘテロクロマチン化されてDNAから除去される[ 27] 。
RISC関連タンパク質
RISCの完全な構造は未解明である。多くの研究によってRISCのサイズと構成要素に関してさまざまな報告がなされているが、これは多数のRISC複合体が存在するためであるのか、研究によって異なる細胞や組織から精製が行われているためであるのか、完全には明らかにされていない[ 28] 。
RISCの組み立てと機能に関係する複合体[ 28]
複合体
由来
既知の構成要素
推定サイズ
RNAi経路における推定機能
Dcr2-R2D2[ 29]
D. melanogaster S2細胞
Dcr2 , R2D2
~250 kDa
dsRNAのプロセシング、siRNAの結合
RLC (A)[ 30] [ 31]
D. melanogaster 胚
Dcr2, R2D2
NR
dsRNAのプロセシング、siRNAの結合、RISCの前駆体
Holo-RISC[ 30] [ 31]
D. melanogaster 胚
Ago2 (英語版 ) , Dcr1, Dcr2, Fmr1 /Fxr (英語版 ) , R2D2, Tsn, Vig
~80S
標的RNAへの結合と切断
RISC[ 5] [ 32] [ 33] [ 34]
D. melanogaster S2細胞
Ago2, Fmr1/Fxr, Tsn, Vig
~500 kDa
標的RNAへの結合と切断
RISC[ 35]
D. melanogaster S2細胞
Ago2
~140 kDa
標的RNAへの結合と切断
Fmr1-associated complex[ 36]
D. melanogaster S2細胞
L5 (英語版 ) , L11 (英語版 ) , 5S rRNA , Fmr1/Fxr, Ago2, Dmp68 (英語版 )
NR
標的RNAへの結合と切断の可能性
Minimal RISC[ 37] [ 38] [ 39] [ 40]
HeLa細胞
eIF2C1 (英語版 ) (Ago1) or eIF2C2 (Ago2)
~160 kDa
標的RNAへの結合と切断
miRNP[ 41] [ 42]
HeLa細胞
eIF2C2 (Ago2), Gemin3 (英語版 ) , Gemin4 (英語版 )
~550 kDa
miRNAの結合、標的RNAへの結合と切断
Ago, Argonaute; Dcr, Dicer; Dmp68, D. melanogaster orthologue of mammalian p68 RNA unwindase; eIF2C1, eukaryotic translation initiation factor 2C1; eIF2C2, eukaryotic translation initiation factor 2C2; Fmr1/Fxr, D. melanogaster orthologue of the fragile-X mental retardation protein; miRNP, miRNA-protein complex; NR, not reported; Tsn, Tudor-staphylococcal nuclease; Vig, vasa intronic gene.
古細菌Pyrococcus furiosus のArgonauteタンパク質全長の構造
Argonauteタンパク質
Argonauteタンパク質は、原核生物と真核生物にみられるタンパク質ファミリーである。原核生物における機能は不明であるが、真核生物ではRNAiに関与している[ 43] 。ヒトではArgonauteファミリーには8種類のメンバーが存在するが、RISC中での標的RNAの切断に関与しているのはAgo2のみである[ 40] 。
RISCローディング複合体は、Dicerによって形成されたdsRNA断片のAgo2へのローディングを(TRBPの助けを借りて)可能にする。
RISCローディング複合体
RISCローディング複合体(RLC)は、dsRNAをRISCへロードするために必要不可欠な構造体である。RLCにはDicer、TRBP (英語版 ) 、Ago2が含まれる。
Dicer はRNase III型エンドヌクレアーゼ であり、RNAiを指示するためにロードされるdsRNA断片を形成する。
TRBP は、3つのdsRNA結合ドメインを持つタンパク質である。
Ago2 はRNaseであり、RISCの触媒中心である。
DicerとTRBP、Ago2との結合は、Dicerによって形成されたdsRNAのAgo2への移行を促進する[ 44] [ 45] 。また、ヒトのDHX9 (英語版 ) はRLCの機能を促進することが示されている[ 46] 。
他のタンパク質
近年同定されたRISCのメンバーには、SND1 (英語版 ) やMTDH がある[ 47] 。SND1 とMTDH はがん遺伝子 であり、さまざまな遺伝子の発現を調節する[ 48] 。
Ago, Argonaute; Dcr, Dicer; Dmp68, D. melanogaster orthologue of mammalian p68 RNA unwindase; eIF2C1, eukaryotic translation initiation factor 2C1; eIF2C2, eukaryotic translation initiation factor 2C2; Fmr1/Fxr, D. melanogaster orthologue of the fragile-X mental retardation protein; Tsn, Tudor-staphylococcal nuclease; Vig, vasa intronic gene.
mRNAへの結合
miRNAとRISCの活性の模式図
活性化されたRISC複合体が細胞内のmRNA標的をどのように見つけているのかに関しては未解明であるが、この過程はmRNAからタンパク質への翻訳が起こっていない状況でも行われることが示されている[ 50] 。
後生動物 において内因的に発現しているmiRNAは通常、完全な相補性は持たない多くの遺伝子に対して作用し、そのため遺伝子発現の調節は翻訳抑制によって行われる[ 51] [ 52] 。しかし植物における過程は標的mRNAに対するより高い特異性がみられ、通常各miRNAは1種類のmRNAにのみ結合する。より特異性が高いということは、mRNAの分解がより起こりやすいことを意味している[ 53] 。
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関連文献
関連項目
外部リンク