OSAMU
OSAMU(おさむ、本名:中嶋 修(なかじま おさむ)、1958年6月16日 - 2012年10月21日)は、日本のレーシングドライバー。京都府出身。 プロフィール
経歴デビューレーシングキャリアは大変長く、1983年にFJ1600鈴鹿シリーズでデビューした。その後、全日本F3選手権を戦うなどしているが、一旦レース活動を休止している。1995年に自らのレーシングチームである「R.F.LeyJun(あーるえふれいじゅん)」を結成し、再びレース活動を開始した。F4や全日本F3選手権への参戦を行った。 「LeyJun」の名前の由来は、自身の妻と一人娘の名前からそれぞれ一字を取って合わせたもので、「レーシングファミリーレイジュン」として中嶋一家がレースを楽しむという意味で名づけられており、レース期間中パドックにおいて一家で楽しんでいる様子が見かけられた。 フォーミュラ・ニッポン1997年から2000年まで、日本のモータースポーツにおけるトップカテゴリーであるフォーミュラ・ニッポンへ参戦した。入賞こそなかったが安定した走りで完走を続けたものの、1999年に美祢サーキットでミハエル・クルムと生死をさまよう大クラッシュを喫し[2]、2000年にも鈴鹿サーキットでヤレック・ヴィエルチュクとクラッシュしたこともあり、体力の限界を感じて2001年はフォーミュラ・ニッポンへの挑戦を断念した。 スーパーGT/スーパー耐久同年以降は代わりのカテゴリーとして全日本GT選手権のGT300クラスに参戦することを表明した。その後はGT300クラスとスーパー耐久に挑戦し続ける(2005年はチームオーナーに専念)と同時に、2003年にはGT300で初の3位表彰台を獲得したほか、2006年は全日本スポーツカー耐久選手権にも参戦している。車種はポルシェ・911が最も多かったが、RGSミラージュ、ヴィーマック、モスラーといった希少生産の海外製スーパーカーのステアリングも多数握った。 事故死2012年10月21日鈴鹿サーキットで行われたスーパー耐久シリーズ第5戦ST-3クラス(排気量2,001~3,500cc)。11周目35号車のassetテクノZ33がオイルを撒き、後続のOSAMUの乗る63号車リールレーシング&レイジュンZ33は第一コーナーでコントロールを失い防護タイヤに激突。ヘリコプターで四日市市の三重県立総合医療センターに緊急搬送されたが脳挫傷により死亡が確認された[1]。満54歳没。 この死亡事故は、スーパー耐久の安全への意識を向上させ、HANSデバイス装着義務化のきっかけとなった。これ以降2023年現在まで、同シリーズの死亡者は出ていない。 レース戦績
全日本F3000選手権/フォーミュラ・ニッポン
全日本GT選手権/SUPER GT
脚注・出典
関連項目外部リンク
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