IMFによる韓国救済IMFによる韓国救済は、1997年12月3日、韓国が通貨危機(国家破綻の危機)を経験し、国際通貨基金 (IMF) からの資金支援の覚書を締結した事件である。IMF経済危機・IMF通貨危機・IMF管理体制・IMF時代・IMF事態と呼ぶこともある。 年表1997年
1998年
1999年
2000年2001年
IMFとの合意合意内容には、「財政再建」「金融機関のリストラと構造改革」「通商障壁の自由化」「外国資本投資の自由化」「企業ガバナンスの透明化」「労働市場改革」などが盛り込まれた[1]。 金融セクター再編
主な影響![]() ![]() 政権交代大統領選挙にて、与党候補の李会昌が野党候補の金大中に敗北した。
財閥解体1999年、韓国で二番目に大きなコングロマリットである大宇財閥は約800億ウォン(8430万米ドル)の負債を抱え倒産、グループは解体された。 1998年7月1日、政府は公的企業の民営化案を発表し、9の公的企業が民営化された。KTBネットワーク、浦項総合製鉄(現在のPOSCO)、斗山重工業(韓国重工業を斗山グループが買収)、KT、KT&Gなどが民営化された。
解雇規制緩和アジア経済危機後の1998年2月に派遣労働制が導入された[2]。 IMFによる韓国救済後、常用雇用者についても、1998年2月、政府・企業・労働組合の三者協調路線の下、真にやむを得ない経営存続上の理由がある場合には常用雇用者の解雇も認めるという内容の合意が行われた[3]。 産業政策の変化保護主義的な国内民族資本財閥が競う状態から、関税障壁の撤廃・投資の自由化を通じて、財閥の合併・再編が相次いだ。 現代・起亜・大宇の大手財閥自動車メーカーと三星・双竜の準大手の財閥自動車メーカーが市場で争っていた[4]。 2016年頃には民族資本の現代・起亜自車車グループが韓国自動車販売シェアのおおよそ70%、続いてアメリカ資本の韓国GM(←GM大宇←大宇)、フランス資本のルノーサムスン(三星)、インド資本の双竜と大きく変化した。なお旧大宇自動車に関しては乗用車部門が韓国GMとなった一方でトラック部門がインド資本のタタ大宇、バス部門がザイル大宇へと分裂した。 また、IMFによる経済引き締めの結果、財閥より体力の無い多くの自動車中小部品メーカーのキャッシュフローが滞った結果、倒産に至った。 事件を題材にした作品映画脚注
参考文献
関連項目 |
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