FromAスキーチーム(フロムエースキーチーム)は、かつて日本に存在した、スキーチーム。リクルート社発行のアルバイト求人情報誌「フロム・エー」をメインスポンサーとし、主に深夜のテレビ番組で、1980年代後半(バブル景気期)から多シーズンに渡り活動。同じFromAのスポンサーのスキーチーム「FromA Snow Riders」とは異なる。
個人の製作スポンサーを募り、日本テレビ、制作会社、出演者など様々な支援協力を得て、「11PM」(日本テレビ・読売テレビ)の続き時間帯で番組がスタート。
1989年フジテレビの深夜帯番組『JOCX-TV2』の一番組として放送される。番組途中に入るスキーマテリアルガイドのコーナーでは、当時渋谷ハチ公口にあった「ホワイトスポーツ」(後に閉店)で収録を行っていた。
1990年フジテレビの深夜帯番組『JOCX-TV+』の一番組として放送される。 ナレーターの変更や、チームウエアが大きく変わり一新され、この年より、新メンバーとして五十嵐和哉、パンツマン土谷(土谷孝幸)、ドマン大平(大平昌克)が加入。ラクロス鈴木(鈴木秀文)は、このシーズンをもって卒業。
アシスタント「ミスフロスティー」が、読者参加企画の「がんばる隊」へと変わる。「がんばる隊」は、男女合わせて330人の応募者の中からオーディションで選出。オーディション会場には、当時のFromA編集長・道下裕史や、司会進行として当番組ナレーションの斉藤リョーツ・鈴木ケイザブローが登場。
スポーツショップのヴィクトリアと提供関係になり、番組途中に入るスキーマテリアルガイドのコーナーは、御茶ノ水のヴィクトリア本店内や安比高原スキー場で収録されることが多かった。このコーナーのみ、ナレーションの斉藤リョーツ、鈴木ケイザブローも声だけでなく映像にも出演している。
e.s.s.bar製のビンディングや、当時ヴィクトリアが扱っていたブランド「スポルディング」製の蛍光色のストックが出演者(がんばる隊を除く)に用具提供される。
この年より、新メンバーとしてバンプ時井(時井秀彦)、ケン黒田が加入。
1992年テレビ東京で深夜帯に放送される。 この年より、新メンバーとしてハンマー石関(石関徹也)が加入。 スキーヤー以外に初のスノーボーダーとして岸友香(気まぐれユカ)が登場する。
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