COUNTDOWN KANSAICOUNTDOWN KANSAI(カウントダウンカンサイ)は、エフエム大阪(fm osaka)で1995年4月7日〜2002年3月29日の7年間、毎週金曜日の午後に放送されていたチャート番組である。通称、CDK。全放送回数は362回。 第1回放送の第1位はH Jungle with tの『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』[1]、最終回の第1位は宇多田ヒカルの『光』[2]。 DJ
放送時間7〜8時間の超ワイド番組で、放送時間をたっぷり使って100位からカウントダウンしていた。
年間チャート1位
COUNTDOWN KANSAI TOP40COUNTDOWN KANSAI TOP40(カウントダウンカンサイトップフォーティー)は、エフエム大阪(fm osaka)で1995年11月頃から2002年3月31日まで毎週土曜日26:00-29:00(JST、日曜日2:00-5:00)に放送されていたラジオ番組である。通称はCDK TOP 40。 概要当時同局で放送されていた『COUNTDOWN KANSAI』の姉妹番組として突然スタートした。開始当初は日曜26:30-29:00(月曜2:30-5:00)だったこともあり、時折送信所の保守を行なうため番組休止になったり、減力放送になったり短縮放送となったことがある。 内容前述のCOUNTDOWN KANSAIのチャートを40位から1位まで放送するというだけのものだった。当初はDJのミチコが10曲ずつ紹介したあと、ノンストップで10曲流すというのを4回繰り返すだけで、CMは皆無であった。途中から、スタッフの「堂山」氏が放送に参加し、2人で局内の裏話など雑談を繰り広げることがあった。 1996年4月にaikoに交代したあとも基本フォーマットは受け継がれたが、次第に各種コーナーが挿入されるようになった。当番組の人気が次第に向上してくると、1998年4月から土曜深夜(日曜未明)に昇格した。aikoはこの番組のパーソナリティとして出演したことで大きく飛躍をとげ、番組自体も人気番組にのしあがった。 パーソナリティエピソード
放送内容
番組の終焉aikoは東京に引越し後も生放送にこだわり、毎週来阪していた(他の仕事[注 4]がある時は、やむなく録音放送だった)が、自身の人気上昇に伴ってスケジュール調整が困難となり、大阪での生放送に支障をきたすことが多くなったことから2001年末に番組を降板。そして3ヶ月後の2002年3月に番組終了。およそ6年5ヶ月の放送にピリオドを打ち『COUNTDOWN KANSAI』も同月で終了し7年の放送にピリオドを打った。 aikoのCOUNTDOWN KANSAI TOP40として1日限りの復活番組終了後、FM大阪開局40周年特番として1日限りで復活した[9]。 後に放送されたチャート番組
脚注注釈
出典
外部リンク |
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