BMT5番街線 (BMT Fifth Avenue Line) 、または5番街高架線 (Fifth Avenue Elevated) 、5番街-ベイリッジ線 (Fifth Avenue-Bay Ridge Line) はアメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリンにあった高架鉄道路線である。ハドソン・アベニューからフラットブッシュ・アベニュー、5番街を経由しベイリッジのある3番街までを結んでいた。
歴史
ブルックリン高架鉄道(現在のBMT)がリースした連合高架鉄道会社[1]がブルックリン高架線(英語版)とBMTレキシントン・アベニュー線(英語版)の支線にあたるハドソン・アベニュー高架線を建設した。この路線はハドソン・パーク街のジャンクションでブルックリン高架線から分かれ、ハドソン・アベニュー南部を高架で通過しロングアイランド鉄道フラットブッシュ・アベニュー駅(改称後:アトランティック・ターミナル駅)まで向かった。旅客列車の運行は1888年11月5日、ブルックリン高架線のターミナル駅であるフルトン・フェリー駅(英語版) - フラットブッシュ・アベニュー駅間で開始された[2]。
この路線はブルックリン高架線と合流した後、2ブロック南を走っているBMTマートル・アベニュー線と平面交差で分岐していた。しかし開業2日後の11月6日、平面交差部分を通過中だったマートル・アベニュー線列車に5番街線の列車が衝突[3]、これに伴いすぐに平面交差は中止され[4]、1889年6月22日、3丁目(英語版)の南まで延伸され、それと同時にマートル・アベニュー線との平面交差を解消した[5] 。
1889年8月15日午後4時、グリーンウッド墓地南側の25丁目駅(英語版)までの延伸区間が開業。この駅でブルックリンのバスとBMTウェスト・エンド線に乗り換えコニーアイランド方面へ向かう事ができ[6][7]、1890年5月29日の36丁目駅(英語版)への延伸でも終点でBMTウェスト・エンド線とINDカルバー線に乗り換えてコニー・アイランドへ向かう事ができた[8]。1893年10月1日に5番街、38丁目、3番街に沿って延伸された5番街線は65丁目駅(英語版)へ到達した[9][10]。
1923年6月25日、北行列車がフラットブッシュ・アベニュー駅付近で脱線し高架線から落下。8名が死亡、多数が負傷という大惨事となった[11][12]。1940年6月1日、5番街線の列車の運行はニューヨーク市内の3つの地下鉄 (BMT・IND・IRT) の統一により廃止された[13][14]。
1941年9月15日、35丁目から5番街の間の線路の撤去が始まり同年11月に撤去が終了した[15]。38丁目から65丁目駅間の3番街に位置する部分はゴワナス高速道路とブルックリン=バッテリー・トンネルの建設に使用された。最終的に高架線3マイルが撤去された[1]。
駅一覧
5番街線の列車はBMTマートル・アベニュー線と分かれる前にパーク・ロウ駅(英語版)、サンズ・ストリート駅(英語版)、アダムス・ストリート駅(英語版)、ブリッジ・ジェイ・ストリート駅(英語版)に停車した後、以下の表の順に停車していた。
出典
- ^ a b “RAZING WILL BEGIN ON BROOKLYN 'EL'; Demolition of Fifth Avenue Line Will Start Monday -- Surface Cars Rerouted”. ニューヨーク・タイムズ. (September 9, 1941). ISSN 0362-4331. https://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9D06E1DA103FE13BBC4153DFBF66838A659EDE&legacy=true August 2, 2016閲覧。
- ^ a b “Will Open on Monday”. ブルックリン・デイリー・イーグル (ブルックリン): p. 5. (November 1, 1888)
- ^ “Who's to Blame”. ブルックリン・デイリー・イーグル (ブルックリン): p. 6. (November 7, 1888)
- ^ “Stops Running”. ブルックリン・デイリー・イーグル (ブルックリン): p. 4. (November 9, 1888)
- ^ a b c d “One Train Ran”. ブルックリン・デイリー・イーグル (ブルックリン): p. 6. (June 22, 1889)
- ^ a b c d e f “To Greenwood on Thursday”. ブルックリン・デイリー・イーグル (ブルックリン): p. 1. (August 14, 1889)
- ^ a b “The Fifth Avenue Elevated to Greenwood”. ブルックリン・デイリー・イーグル (ブルックリン): p. 6. (August 15, 1889)
- ^ a b “Half a Mile More of L Road”. ブルックリン・デイリー・イーグル (ブルックリン): p. 6. (May 29, 1890)
- ^ a b c d e f “Trial Trip on the Sea Side”. ブルックリン・デイリー・イーグル (ブルックリン): p. 10. (September 30, 1893)
- ^ “Through Trains To-day”. ブルックリン・デイリー・イーグル (ブルックリン): p. 1. (October 1, 1893)
- ^ Under the Sidewalks of New York The Story of the Greatest Subway System
By Brian J. Cudahy
- ^ “The Forgotten Brooklyn Elevated Train Crash Of 1923”. Stuff Nobody Cares About. Forgotten New York (June 25, 2012). March 28, 2015閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “B.M.T. 'El' Lines to Shift Service; City to Close 2 Sections This Week; New Schedules Affect Fulton St., Lexington Ave. and Culver Roads--Free Transfers to the Independent System at Some Stations”. ニューヨーク・タイムズ. (May 27, 1940). ISSN 0362-4331. https://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9B03E1DD1531E23ABC4F51DFB366838B659EDE&legacy=true August 2, 2016閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “LAST TRAIN IS RUN ON FULTON ST.'EL'; Mayor, Cashmore, Officials and Civic Leaders Make Trip to Brooklyn Terminus RAZING TO START SOON 'Funeral' Services for Line, Built in 1888, Are Held in Kings During Afternoon”. ニューヨーク・タイムズ. (June 1, 1940). ISSN 0362-4331. https://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9407E0D71130E53ABC4953DFB066838B659EDE&legacy=true August 2, 2016閲覧。
- ^ “Razing of Elevated Started”. ニューヨーク・タイムズ. (September 16, 1941). ISSN 0362-4331. https://query.nytimes.com/gst/abstract.html?res=9B05E7D6103FE13BBC4E52DFBF66838A659EDE&legacy=true August 2, 2016閲覧。
|
---|
Aディビジョン |
IRT |
マンハッタン/ クイーンズ | |
---|
ブロンクス | |
---|
ブルックリン | |
---|
廃止 | |
---|
|
---|
|
---|
Bディビジョン |
BMT |
|
---|
IND |
マンハッタン/ブロンクス | |
---|
ブルックリン/ クイーンズ | |
---|
廃止 | |
---|
|
---|
BMT/IND | |
---|
|
---|
ディビジョン間連絡路線 |
|
---|
その他 | |
---|
この一覧はニューヨーク市地下鉄の物理的な路線を示しており、この路線網の上に系統が運行されている。 名前の隣にラインカラーが示されている路線は幹線であり、各系統を示すマークの色はこの幹線のラインカラーになっている、 ただしシャトルについてはダークグレーである
|