鳥屋野村(とやのむら)は、かつて新潟県中蒲原郡にあった村。1943年12月8日の新潟市への編入合併によって消滅し、現在は新潟市中央区の一部となっている。
以下の記述は合併直前当時の旧鳥屋野村に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては新潟市などの記事を参照。
歴史
- 1874年(明治7年) - 鳥屋野村と藤巻新田が合併し、鳥屋野村となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともなう合併により、鳥屋王村(とやのおむら)と女池村が発足。鳥屋王村役場は出来島新田に設置[2]。
- 1890年(明治23年) - 鳥屋王村が鳥屋野村と改称[3]。
- 1901年(明治34年)11月1日 - 鳥屋野村と女池村が合併し、鳥屋野村となる。村役場は近江新田に設置[4]。
- 1943年(昭和18年)12月8日 - 新潟市へ編入[5]。(鳥屋野村消滅)
地域
鳥屋王村の地域のみ記載。
鳥屋王村
鳥屋王村は、合併した村名を継承する以下の大字で構成される。
- 鳥屋野 (とやの)
- 1889年(明治22年)まであった鳥屋野村の区域。現在の新潟市中央区鳥屋野。
- 網川原 (あみがわら)
- 1889年(明治22年)まであった網川原新田の区域。現在の新潟市中央区網川原。
- 親松 (おやまつ)
- 1889年(明治22年)まであった親松新田の区域。現在の新潟市中央区親松。
- 大島 (おおじま)
- 1889年(明治22年)まであった大島新田の区域。現在の新潟市中央区大島。
- 出来島 (できじま)
- 1889年(明治22年)まであった出来島新田の区域。現在の新潟市中央区出来島。
- 上所島 (かみところじま)
- 1889年(明治22年)まであった上所島新田の区域。現在の新潟市中央区上所。
- 下所島 (しもところじま)
- 1889年(明治22年)まであった下所島新田の区域。現在の新潟市中央区下所島。
- 天神尾 (てんじんお)
- 1889年(明治22年)まであった天神尾新田の区域。
- 近江 (おうみ)
- 1889年(明治22年)まであった近江新田の区域。現在の新潟市中央区近江。
信濃川埋立地
1929年(昭和4年)から1939年(昭和14年)にかけて行われた、新潟県による信濃川埋立によってできた地域[6]。埋立以前から河川敷として利用されていたため、出来島など最寄りの大字に含められていたが、戦後になって町名が新光町と美咲町に変更された[7]。
行政
歴代村長
学校
- 鳥屋野村立鳥屋野国民学校(現新潟市立鳥屋野小学校)
- 鳥屋野村立上所国民学校(現新潟市立上所小学校)
- 鳥屋野村立女池国民学校(現新潟市立女池小学校)
- 鳥屋野村立笹口国民学校(現新潟市立笹口小学校)
脚注
注釈
出典
参考文献
- 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
- 『新潟歴史双書 8 新潟の地名と歴史』新潟市、2004年3月31日。
- 『新潟県市町村区域及改称市町村名一覧表』関井常弥、1889年3月25日。
- 『新潟県市町村便覧』擁天堂、1902年6月15日。
- 『全国市町村便覧 : 三府四十三県北海道朝鮮台湾樺太関東洲其他』藤谷崇文館、1926年2月10日。
- 『新潟県年鑑(昭和八年度版)』新潟県年鑑社、1933年3月25日。
- 『新潟県年鑑(昭和九年度版)』新潟毎日新聞社、1933年12月31日。
- 『新潟県年鑑(昭和十年版)』新潟毎日新聞社、1934年12月7日。
- 『新潟県年鑑(昭和十一年版)』新潟毎日新聞社、1936年1月5日。
- 『新潟県年鑑(昭和十六年版)』新潟毎日新聞社、1940年12月1日。
- 『新潟県年鑑(昭和十七年版)』新潟日日新聞社、1941年11月20日。
- 『新潟県年鑑(昭和十八年版)』新潟日報社、1942年12月10日。
- 『新潟県年鑑(昭和十九年版)』新潟日報社、1943年12月20日。
関連項目