髙松智美ムセンビ
髙松 智美 ムセンビ(たかまつ ともみ ムセンビ、結婚後の本名:中島 智美 ムセンビ〈なかしま ともみ ムセンビ〉[1]、2000年〈平成12年〉2月23日 - )は、日本の元陸上競技選手(中距離走・長距離走)。アジアクロスカントリー選手権・ジュニア団体金メダリスト。父は2001年 長野マラソンで優勝したケニア人のマクセル・ムセンビ、母は日本人、姉は髙松望ムセンビ[2]、夫は中島怜利[1]。 経歴生まれはケニアで、1歳になってから日本で暮らす[3]。大阪薫英女学院中学校・高等学校卒業。中学時代から姉・髙松望ムセンビを追って多くの大会で活躍した。ジュニアオリンピック3000mで優勝し、全国女子駅伝2区では2年連続で区間賞も獲得した。 高校時代には、中学から競い合ってきた田中希実(西脇工業)、和田有菜(長野東)らともにトラック、駅伝、クロスカントリーで活躍した。高2の時に全国高校駅伝で2区で区間2位となりチームの優勝に貢献し、翌年には連覇を狙うも果たせなかった。 駅伝の強豪名城大学に進学すると、同期の和田有菜、1歳上の加世田梨花などチーム内でも競い合い、特にトラック種目で大きく実力を伸ばした。1年生で、第102回日本陸上競技選手権大会1500mで優勝し、日本インカレでも1500m・5000mの2冠を制した。チーム初の大学駅伝2冠(全日本大学女子駅伝、富士山女子駅伝)にも貢献した。 しかし、2年生後半以降、故障のために各種の大会での記録が前年を下回り、全国女子駅伝では区間順位が大きく下がるなど、主要大会で十分な活躍が出来ない不本意な状況になった。それでも大学駅伝では2年連続の2冠に貢献するなどの活躍は見せた。 卒業後の進路について複数の実業団から誘いがあったものの、髙松自身が大学で競技に区切りを付けることを希望した。東京都で飲食業界に就職することとなり、2022年1月の選抜女子駅伝北九州大会を最後に競技から退いた[2]。 その後、2023年2月の青梅マラソン30キロの部に出場し9位となり、「やっぱり競技者として走りたい」「そのための準備段階」として現役復帰を目指していると報じられた[4]。 2023年7月28日に、陸上選手の中島怜利との結婚を発表した[5]。結婚を機にSNS上で、本名の改姓に合わせて名前を「中島智美ムセンビ」に変更した[6][1]。 特徴身長148cmと小柄だが大きなストライドで力強く前進する走法である。トラックでのラストスパートの切れ味は抜群で、それを武器に大きなタイトル(日本選手権、日本インカレ、クロスカントリー日本選手権)を獲得してきた。2段階の動きでストライドを伸ばす独特のランニングフォームは迫力さえ感じさせる。 大学2年に入ると思うような記録を出すことできないレースが続いた。特に5000mでの不振は陸上ファンに大きな心配をかけていた。大学3年次後半以降は復調を見せるも、大学卒業を機に競技活動から一線を引いた。 主な記録
脚注
外部リンク
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