高野尾町
高野尾町(たかのおちょう)は、三重県津市の町丁。本項では前身である安芸郡高野尾村(たかのおむら)についても記す。 地理津市の北東部、伊勢自動車道・芸濃インターチェンジの東方一帯に所在する。関宿と江戸橋を結ぶ伊勢別街道の中間付近に位置する町である[7]。 東で大里山室町・大里野田町、南で大里睦合町・安濃町安濃・芸濃町岡本、西で芸濃町荻野・芸濃町椋本、北で亀山市三寺町・下庄町・中庄町(飛地)に接する。南東から北西に志登茂川と三重県道10号津関線が、北東から南西に三重県道649号亀山安濃線が、南端を中の川と伊勢自動車道が通過する。北部をネオポリス(豊が丘)が占めたが、2014年(平成26年)6月30日に高野尾町から分離して「豊が丘一丁目 - 五丁目」となった[8]。
歴史
特攻用飛行場第二次世界大戦末期に、高野尾には海軍の簡易秘密飛行場が建設された[9]。建設作業は鈴鹿海軍航空隊の隊員も関与し、「第3鈴鹿航空隊」とも呼ばれた[9]。後の伊勢自動車道芸濃ICから津市立高野尾小学校前にかけての地域に滑走路を設け、付近の丘陵に飛行機を隠すための掩体壕が築かれた、とされているが、戦後開拓により地形の改変が著しく、現地で遺構は確認されていない[9]。 滑走路の跡地は畑地や住宅地に、掩体壕のあった丘陵はヤマギシズム豊里実顕地や伊勢自動車道に変貌した[9]。 花卉園芸三重サツキやヒラドツツジの栽培が盛んな地域であり[10]、三重県道10号津関線に沿って温室や花木の畑が連なっている[6]。三重県は花木生産を明治時代から開始しているが、高野尾のサツキ栽培は歴史があり、サツキは公園や庭園の植え込み樹として利用される[6]。生産団体は高野尾苗木生産組合で、ミスト繁殖室を備え、挿し苗から育成、供給に至る一貫生産システムを構築している[11]。品種は並サツキ、赤花サツキ、桃花サツキが多く、1970年代頃の栽培面積は200haであった[6]。1969年(昭和44年)には洋ラン栽培を目的に「三重メリクロン生産組合」が設置され、高野尾洋らん組合も組織されて温室での洋ラン栽培が急拡大した[6]。こちらも繁殖から育成、供給に至る一貫生産システムが成り立っている[11]。品種はシンビジウムが中心である[6]。そのほか、水稲・野菜・みかん栽培や酪農も盛んである[7]。 ところが主な需要者であったゴルフ場や公共施設の建設が減少するに伴い、花木の需要も減少したため離農者が増え、産地としては衰退に向かっている[10]。そこで地域の農家による出資で2013年(平成25年)9月に「株式会社フューチャー・ファーム・コミュニティ三重」が設立された[10]。同社は、かつて高野尾町で栽培が盛んであったサトイモを特産品にする活動、三重大学とエディブル・フラワー(食べられる花)の共同研究、三重県最大級の敷地面積3.3haの農産物直売所朝津味(あさつみ)の設立(2016年7月2日開業)などを通して地域活性化を図っている[10]。 世帯数と人口2019年(令和元年)6月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷国勢調査による人口の推移
世帯数の変遷国勢調査による世帯数の推移
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[17]。
交通バス道路施設
その他日本郵便脚注
参考文献
関連項目外部リンク |