高原郡(コウォンぐん)は朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道に属する郡。
地理
咸鏡南道の南部に位置する。
北~東にかけて金野郡、西に水洞郡、南には江原道川内郡が接する。
行政区画
1邑・1労働者区・18里を管轄する。
- 高原邑(コウォヌプ)
- 浮来山労働者区(プレサンノドンジャグ)
- 郡内里(クンネリ)
- 南興里(ナムンニ)
- 多泉里(タチョンニ)
- 徳池里(トクチリ)
- 楽泉里(ラクチョンニ)
- 文下里(ムナリ)
- 弥屯里(ミドゥンニ)
- 上山里(サンサンニ)
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- 上坪里(サンピョンニ)
- 松川里(ソンチョンニ)
- 松興里(ソンフンニ)
- 新昌里(シンチャンニ)
- 円峯里(ウォンボンニ)
- 箭灘里(チョンタンニ)
- 中坪里(チュンピョンニ)
- 豊南里(プンナムニ)
- 下坪里(ハピョンニ)
- 黄松里(ファンソンニ)
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歴史
かつては現在の水洞郡を含んでいた。1952年に郡西部を水洞郡として分離した。
年表
この節の出典[1]
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、永興郡雲谷面が高原郡に編入、下鉢面の一部が徳源郡に編入。高原郡に以下の面が成立。(6面)
- 1939年 - 下鉢面が高原面に改称。(6面)
- 1943年10月1日 - 高原面が高原邑に昇格。(1邑5面)
- 1946年 - 高原邑が高原面に降格。(6面)
- 1952年12月 - 郡面里統廃合により、咸鏡南道高原郡高原面・上山面・郡内面および水洞面の一部、江原道文川郡明亀面・川内面の各一部地域をもって、咸鏡南道高原郡を設置。高原郡に以下の邑・里が成立。(1邑16里)
- 高原邑・上坪里・中坪里・下坪里・郡内里・多泉里・松興里・上山里・南興里・弥屯里・新昌里・黄松里・松川里・豊南里・円峯里・楽泉里・錦水里
- 1953年12月 (1邑18里)
- 下坪里の一部が分立し、文下里が発足。
- 豊南里・円峯里の各一部が合併し、箭灘里が発足。
- 下坪里の一部が南興里に編入。
- 円峯里の一部が江原道川内郡龍楼里に編入。
- 江原道川内郡亀浦里の一部が下坪里に編入。
- 1954年 - 豊南里の一部が箭灘里に編入。(1邑18里)
- 1972年 - 上坪里が浮来山労働者区に昇格。(1邑1労働者区17里)
- 1974年1月 - 水洞郡水洞邑・長洞労働者区・雲谷労働者区・山谷労働者区・院巨労働者区・秀山里・城南里・竹田里・八興労働者区・雲興里・天乙里・龍坪里・雲山里・館坪里・泉城里・蔵糧里・城内里・杻田里・三坪里・回坪里を編入。(1邑7労働者区31里)
- 1974年5月 - 豊南里・箭灘里・円峯里・松興里および楽泉里の一部が江原道川内郡に編入。(1邑7労働者区27里)
- 1981年8月 - 江原道川内郡豊南里・箭灘里・円峯里・松興里を編入。(1邑7労働者区31里)
- 1981年末 - 山谷労働者区が山谷里に降格。(1邑6労働者区32里)
- 1983年 (1邑7労働者区32里)
- 錦水里が徳池里に改称。
- 水洞労働者区・長洞労働者区の各一部が合併し、徳寺労働者区が発足。
- 1986年8月 - 館坪里が耀徳郡に編入。(1邑7労働者区31里)
- 1990年12月 - 水洞労働者区・雲谷労働者区・長洞労働者区・八興労働者区・院巨労働者区・徳寺労働者区・杻田里・泉城里・龍坪里・城内里・三坪里・天乙里・雲興里・城南里・竹田里・山谷里・秀山里・雲山里・蔵糧里・回坪里が新設の水洞区に編入。(1邑1労働者区17里)
- 1995年12月 - 浮来山労働者区の一部が分立し、上坪里が発足。(1邑1労働者区18里)
交通
平羅線と江原線の分岐点があり、高原駅がそれである。
脚注
外部リンク