高千穂町立岩戸小学校

高千穂町立岩戸小学校
地図北緯32度44分04.1秒 東経131度20分57.6秒 / 北緯32.734472度 東経131.349333度 / 32.734472; 131.349333座標: 北緯32度44分04.1秒 東経131度20分57.6秒 / 北緯32.734472度 東経131.349333度 / 32.734472; 131.349333
過去の名称 岩戸小学校
尋常岩戸小学校
岩戸尋常小学校
岩戸尋常高等小学校
岩戸村岩戸国民学校
岩戸村立岩戸小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 高千穂町
併合学校 高千穂町立上岩戸小学校
設立年月日 1874年(明治7年)7月17日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B145244118078 ウィキデータを編集
所在地 882-1621
宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸1076番地1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
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高千穂町立岩戸小学校(たかちほちょうりつ いわとしょうがっこう)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸にある公立小学校

概要

歴史
1874年明治7年)創立。現校名となったのは1956年昭和31年)。2024年令和6年)に創立150周年を迎えた。
校章
三種の神器八咫鏡天叢雲剣八尺瓊勾玉)を組み合わせたデザインとなっている。
校歌
作詞は興梠[1]栄二朗(第21代校長)、作曲は川久保淳による。歌詞は3番まであり、3番の歌詞中に校名の「岩戸」が登場。
通学区域
住所表記で「高千穂町」の後に以下が続く地域。
  • 大字岩戸(笹の戸・五ケ村・上寺・立宿・土呂久・東岸寺・黒原・下永の内・上永の内・野方野[2])」
  • 「大字三田井(大野原[3]
  • 「大字上岩戸(日出・日向)」
中学校区は高千穂町立高千穂中学校[4]

沿革

校舎
体育館
  • 1874年(明治7年)7月17日 - 「岩戸小学校」が創立。岩戸村下永の内の甲斐茂治氏宅を仮校舎として使用。
  • 1877年(明治10年)2月 - 西南の役のため休校となる。
  • 1878年(明治11年)9月 - 校舎を移転。
  • 1885年(明治18年)8月 - 上村小学校が創立。
  • 1887年(明治20年)- 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常岩戸小学校」に改称。
  • 1888年(明治21年)8月14日 - 火災により、校舎を焼失。
  • 1889年(明治22年)
    • 3月 - 木造新校舎が完成(復旧)。
    • 4月 - 野方野分教場を開設。
    • 5月1日 - 町村制施行に伴い、西臼杵郡2村(岩戸・山裏)が合併の上、「岩戸村」となる。
  • 1892年(明治25年)4月 - 「岩戸尋常小学校」に改称。
  • 1902年(明治35年)1月 - 上村尋常小学校を統合。
  • 1903年(明治36年)9月 - 現在地に移転を完了。
  • 1904年(明治37年)5月 - 野方野分教場を廃止。
  • 1906年(明治39年)
    • 4月 - 高千穂高等小学校を運営する高千穂村と岩戸村の学校組合が解散。これにより、高等科を併置の上、「岩戸尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科4年)に改称。
    • 9月 - 野方野仮教場を設置。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科が4年制から6年制に改められる。これにより、従来の高等科1年を「尋常科5年」に、高等科2年を「尋常科6年」に、高等科3年を「高等科1年」に、高等科4年を「高等科2年」に改組。
  • 1916年大正5年)- 野方野仮教場を廃止。大平地区の児童を対象として、高千穂尋常高等小学校寄留通学校1棟(5教室)を増築。
  • 1925年(大正14年)4月 - 木造校舎1棟(4教室)を増築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「岩戸村岩戸国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校初等科は新制小学校「岩戸村立岩戸小学校」に改組・改称。
    • 4月30日 - 国民学校高等科と青年学校普通科が統合の上、新制中学校岩戸村立岩戸中学校」となり、小学校に併設される。
  • 1953年(昭和28年)3月 - 木造校舎2棟(10教室)を改築。
  • 1956年(昭和31年)10月1日 - 町村合併により、「高千穂町立岩戸小学校」(現校名)と改称。
  • 1957年(昭和32年)4月 - 西臼杵郡初の鉄筋コンクリート造2階建校舎1棟(6教室)が完成。
  • 1964年(昭和39年)8月 - 運動場を拡張。
  • 1965年(昭和40年)
    • 3月 - 鉄骨ブロック造中央校舎を改築。
    • 10月 - 完全給食を開始。
  • 1967年(昭和42年)11月 - 門柱が完成。
  • 1969年(昭和44年)3月 - 体育館が完成。
  • 1971年(昭和46年)9月 - プールが完成。
  • 1974年(昭和48年)7月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1978年(昭和53年)1月 - 家庭科調理室・ランチルームを開設。
  • 1988年(昭和63年)3月 - 木造校舎2棟を改築。
  • 1993年(平成5年)11月 - 椎茸園が完成。
  • 1995年(平成7年)4月 - 給食用食器を陶器に変更。
  • 1998年(平成10年)
    • 2月 - 屋外放送室が完成。
    • 6月 - シンガポールの旗シンガポールより教育視察団が来校、
  • 1999年(平成11年)2月 - 小学校と高千穂町役場岩戸支所の間にスロープが完成
  • 2004年(平成16年)3月 - 新給食室が完成。 
  • 2005年(平成17年)3月 - 半壊した大イチョウの木をまな板に加工した上で、岩戸小学校・上岩戸小学校・岩戸中学校の全児童生徒の家庭や公民館等の公共施設へ配付。
  • 2010年(平成22年)
    • 2月 - 体育館の耐震工事が完了。
    • 4月1日 - 高千穂町立上岩戸小学校を統合。
  • 2013年(平成25年)3月 - 正門へ通じる坂を「始まりの坂」と命名。
  • 2015年(平成27年)
    • 4月 - 高千穂町立岩戸中学校の閉校により、中学校区が高千穂町立高千穂中学校となる。
    • 8月 - 管理棟新築工事に伴い、旧・岩戸中学校校舎を仮校舎として移転。 
  • 2016年(平成28年)8月 - 新校舎・新体育館落成式を挙行。
  • 2024年(令和6年)11月16日 - 創立150周年記念式典を挙行。
旧・上岩戸小学校(かみいわと)
旧・上岩戸小学校 校舎
旧・上岩戸小学校 体育館
旧・上岩戸小学校 閉校記念碑
  • 1879年(明治12年)11月1日 - 「第六区 山裏小学校」(やまうら)が創立。大猿渡山裏村戸長役場の隣室を校舎とする。
  • 1882年(明治15年)- 日陰栃木の民家を仮校舎とする。その後、栃木民家で移転を繰り返す。
  • 1887年(明治20年)- 小学校令施行により、「尋常山裏小学校」に改称。下鶴に附属校舎(後の仲組分教場)を設置。
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行に伴い、西臼杵郡2村(岩戸・山裏)が合併の上、「岩戸村」となる。
  • 1892年(明治25年)- 「山裏尋常小学校」に改称。
  • 1900年(明治33年)- 下鶴の附属校舎を仲組分教場に改称。
  • 1901年(明治34年)6月1日 - 校舎を新築の上、移転を完了(最終所在地)。日向に分教場を設置。
  • 1903年(明治36年)4月 - 中組分教場が分離し、「仲組尋常小学校」として独立[5]。川の詰分教場を設置。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科が4年制から6年制に改められる。尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
  • 1910年(明治43年)10月 - 木造校舎1棟を新築。
  • 1925年(大正14年)4月 - 在籍児童数147名。
  • 1929年(昭和4年)- 3教室を増築。
  • 1935年(昭和10年)4月 - 在籍児童数201名、職員数5名。
  • 1936年(昭和11年)- 3教室を増築。
  • 1937年(昭和12年)4月 - 高等科(2年制)を併置の上、「山裏尋常高等小学校」に改称。
  • 1939年(昭和14年)4月 - 在籍児童数195名、職員数6名。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「岩戸村山裏国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1944年(昭和19年)4月 - 沖縄県からの国民学校疎開学童を53名受け入れる。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校初等科は新制小学校「岩戸村立山裏小学校」に改組・改称。
    • 4月30日 - 国民学校高等科と青年学校普通科が統合の上、新制中学校「岩戸村立岩戸中学校 山裏分校」に改組・改称。小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)11月20日 - 岩戸村立岩戸中学校山裏分校が廃止される。
  • 1956年(昭和31年)10月1日 - 町村合併により、「高千穂町立山裏小学校」と改称。
  • 1958年(昭和33年)4月 - 講堂(へき地集会所)が完成。
  • 1962年(昭和37年)2月 - 校歌・校旗を制定。
  • 1963年(昭和38年)2月 - 鉄骨造校舎1棟を新築。
    • 4月1日 - 「高千穂町立上岩戸小学校」(最終名)に改称。
    • 5月 - 完全給食を開始。
    • この年 - プールが完成。
  • 1970年(昭和45年)4月 - 在籍児童数112名、職員数10名。
  • 1979年(昭和54年)
    • 4月 - 在籍児童数52名。複式を導入(4学級編成)。
    • 11月 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1987年(昭和62年)2月 - 体育館が完成。
  • 1996年(平成8年)- 校旗を新調。
  • 1997年(平成9年)2月 - 新プールが完成。
  • 1998年(平成10年)- 沖縄県から学童疎開経験者が4月に2名、8月に1名、来訪。
  • 2006年(平成18年)
    • 2月 - 上岩戸大橋が開通。
    • 9月 - 地区との合同で、第1回上岩戸大運動会を開催。
  • 2010年(平成20年)

交通

最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

参考資料

  • 「高千穂町史 本編」(高千穂町、1972年(昭和47年)3月30日発行)p.689~p.690(岩戸小学校)、p.690(上岩戸小学校)

脚注

  1. ^ 興梠の読みは「こうろぎ」。
  2. ^ 大平は高千穂町立高千穂小学校区。
  3. ^ 大野原以外の地区は高千穂町立高千穂小学校区。
  4. ^ 高千穂町立小・中学校の通学区域に関する規則 - 高千穂町ウェブサイト
  5. ^ 後の日之影町立仲組小学校。日之影町立日之影小学校#沿革を参照

関連項目

外部リンク

 

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