飯島雷輔
飯島 雷輔(いいじま らいすけ、1887年(明治20年)10月20日[1] - 1964年(昭和39年)2月21日[2][3])は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、貴族院勅選議員、茨城県旧古河市長。 経歴茨城県西葛飾郡古河町(現:古河市)で、製糸業・飯島政吉の長男として生まれる[4][5]。1909年(明治42年)家業を継承した[4][6]。 武州銀行相談役、飯島商店社長、日本特殊合金鋳工社長、長島製糸所代表、古河町農会長、日本赤十字社特別社員、済生会特別会員などを務めた[2][5]。 1936年(昭和11年)4月、古河町長に就任し同年11月まで在任[4][6]。1939年(昭和14年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ[6][7][8]、1941年(昭和16年)10月2日に辞任した[6][9][10]。1947年(昭和22年)3月4日、貴族院勅選議員に任じられ[6][11]、同年5月2日の貴族院廃止まで在任した[2][6]。 1959年(昭和34年)4月、古河市長選挙に出馬し、現職小池宗次郎を破って当選したが、2期目在任中の1964年(昭和39年)2月21日の午後3時5分に、胃潰瘍と併発した肝硬変のため入院中の慶應大学病院で死去した[3][4]。この間、上水道、し尿処理場、公民館、公会堂などの公共施設の建設に尽力した[4]。 栄典脚注
参考文献
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