青木英美
青木 英美(あおき ひでみ、1953年1月31日 - )は、日本の女優・モデル。東京都新宿区出身[1]。身長165センチメートル、体重49キログラム、B87センチメートル、W59センチメートル、H86センチメートル(1974年1月)[2][注 1]。ネポエット所属。 来歴・人物新宿育ち[1]。父親は新宿でバーを経営[4]。中学校では体操部に所属し[1]床運動が得意であった。また、ウォーカー・ブラザースとザ・ビートルズに熱中する学生時代だった[5]。15歳でモデル事務所にスカウトされたことで所属し[1]、麹町学園女子高校2年在学中17歳の[3][4]1970年3月、東京国際見本市会場で開催された第1回ミス・ヤング・インターナショナル世界大会に日本代表として出場し第2位に選出された[3][4][6][7]ことを機に、東宝テレビ部に所属[1]。「いっぱいいるボーイフレンドはみな慶応ボーイ」と話した[4]。1970年3月から若者向け朝の情報番組『ヤング720』(TBS系)金曜日の司会を務め[3][1]、4月から[3]カネボウハリス『チューイングBON』コマーシャルに抜擢される[3][8][1]。その後は主に1970年代、東宝が制作する映画やテレビドラマを中心に多数出演するようになった。『金メダルへのターン!』『飛び出せ!青春』を筆頭に学園ドラマでの女生徒役が多い。この時期の雑誌インタビューでの理想の男性像は?という質問には「スティーブ・マックイーンのような人」と答えている[5]。東南アジア風マスクと[9]、白人並の肉体美で[9]、『007』シリーズ第9作『007 黄金銃を持つ男』のボンドガール有力候補となる[9]。 一躍広い人気を得たのは、1972年に出演した村野武範主演のテレビドラマ『飛び出せ!青春』で森下真樹というセクシーな女生徒役を演じ、大田黒久美が演じた生真面目で清楚な生田みどりとは対照的な役柄となっており、視聴者の間で真樹派・生田派と人気を二分した。その続編的な作品である1974年の中村雅俊主演『われら青春!』にも引き続き森下真樹役として出演したほどで、青木の代表的な役となった。また、1973年7月から1年間『太陽にほえろ!』にレギュラー出演。ジーパン刑事(松田優作)の初登場と同じ日に七曲署捜査第一係の初代内勤員(お茶くみも担当)としてレギュラー出演開始、早速ゴリさん(竜雷太)や長さん(下川辰平)、そしてボス(石原裕次郎)までがその脚線美に思わず見とれてしまうシーンが描かれるなど、事件多発の七曲署の癒し系的存在となった。 1974年4月号の月刊プレイボーイ誌には青木邑子名義でグラビアに登場している。同年9月放映分で太陽にほえろ!出演を終えると(この際に演じていた"永井久美"が七曲署を去る描写や告知は一切なく番組を降板)、芸能活動当初から女優業よりもファッションモデルに強い関心を持っていたことから本場のファッションに触れたい希望があり、日本での芸能活動を休止して単身パリへ渡欧。約1年パリに居住した。007シリーズを指揮したイギリス人映画監督ルイス・ギルバートが日本を舞台に制作する映画『SEVEN NIGHTS IN JAPAN』のオーディションを受けるとヒロイン役に抜擢され、英語でのセリフ習得や語学勉強のため生活拠点をロンドンに移し、約4年ヨーロッパで生活した[10]。帰国後、日本での女優業を一時再開したが、そのころを境に女優活動から再引退状態となりモデル業へ[1]。1982年に結婚、一児をもうける[11]。2000年代に入り女性誌『ミセス』『ミマン』『着物サロン』のモデルなどの活動を再開。CMや舞台、テレビドラマ、CS「ショップチャンネル」にも出演。 2007年からは、青春学園シリーズ(日本テレビ・東宝製作)でも共演した旧知の赤塚真人が座長を務める「劇団裏長屋マンションズ」にも参加。小劇場の舞台でも活動している。 2011年に発生した東日本大震災による甚大な津波被害を受けた宮城県女川町が、かつて『われら青春!』で共演した中村雅俊の故郷だったことから、同作品の共演者・スタッフを中心としたボランティア団体「われら青春! 女川復興支援隊」を結成し[12]、代表を務めている。 出演テレビドラマ
その他のテレビ番組
映画
舞台
CM音楽シングル
アルバムオムニバス・アルバム
参考文献
外部リンク
脚注注釈出典
関連項目 |
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