青戸辰午
青戸 辰午(あおと たつご[注 1]、明治30年(1897年)6月30日 - 昭和47年(1972年)5月)は、日本の弁護士、政治家。旧名は貞吉[1]。 経歴米子中学[3]、松江中学[1]を経て、大正7年(1918年)早大中退[4]。昭和3年(1928年)、朝鮮において弁護士開業[4]。昭和6年(1931年)に鳥取県米子市に移住した後も引き続き開業した[4]。 戦前に米子市会議員を1期務め、戦後は鳥取県地方労働委員会委員、人権擁護委員、米子市選挙管理委員会委員、鳥取県人事委員会委員などに選任され、その功績により昭和37年(1962年)に藍綬褒章を授与された[5]。 人物像趣味は読書[4]、宗教は禅宗[4]・曹洞宗[2]、住所は米子市加茂町[4]。 家族脚注注釈
出典参考文献
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