陸景陸 景(りく けい、赤烏13年(250年) - 天紀4年2月6日(280年3月23日))は、中国三国時代の呉の武将・学者。字は士仁。本貫は揚州呉郡呉県。陸抗の次男。母は張承の娘であり、張昭・諸葛瑾の曾孫にあたる。兄に陸晏、弟に陸玄、陸機、陸雲、陸耽。 生涯建興2年(253年)、諸葛恪が誅殺されると、母が外姪にあたるため連座し、生別となった。その後は祖母(孫策娘か)に育てられ、祖母が亡くなると心喪を三年おこなった。 学問を好み、修行に努めた人物として成長し、弟の陸機・従弟の陸曄と並び称された。264年、孫晧が即位したとき、母方従姉妹の公主(孫晧の嫡妹で孫和と張妃の子)を娶り、騎都尉に拝して毗陵侯に封じられた。 鳳凰3年(274年)、父が亡くなると末弟の陸耽を除く兄弟5人で軍を分割相続した。偏将軍・中夏督に昇進した。 天紀4年(280年)2月、晋の王濬らが侵攻してくると堅守して抵抗したが、庚申に西陵で留憲や虞忠が斬られ、壬戌に荊門、夷道の二城陥落で陸晏が斬られ、癸亥に楽郷城が落ちて、江水の渚で水軍都督の陸景は捕らえられ斬られた[1]。 陸景は文才があり、著作は後世に『陸景集』(散逸)としてまとめられ、親しかった兄・陸晏や從兄の安成王(孫皓の兄弟か)あての手紙が現在でも見られる。また『典語』十卷と『典語別』二卷を撰した。 小説『三国志演義』では、水軍を率いて迎撃したが、破竹の勢いである晋軍を食い止めることができず、逃亡しようとしたところを敵将の張尚に斬られた。 脚注
参考文献
家系図
|