阿蘇村
阿蘇村(あそむら)は、かつて千葉県印旛郡に存在した村。現在の八千代市東部である。 位置・地勢印旛郡の西部(西端)に位置し、千葉郡に接する。東西約3.5 km、南北約7.3 km。地勢は、南から北に向かい漸々と傾斜するも概ね平坦である。 水系西方の千葉郡界に新川(平戸川)が流れ印旛沼に注ぐ。米本に平澤池、村上に黒澤池あり。印旛沼および新川は船運と漁業に水利あって、秋冬には小蝦を網し食用とする。夏秋には沿岸の農民小舟で棹さし藻類を掻取って肥料と為す。 歴史印東荘。幕藩体制下では一貫して佐倉藩領。堀田氏。全村で約2400石。廃藩置県後は佐倉県、印旛県、千葉県隷下と順に移行する。明治42年、帝国在郷軍人会佐倉支部阿蘇分会発足。大正9年、梨栽培が始まる。昭和7年、阿蘇村振興会発足。 沿革
戸口地域米本区よなもと。
下市場区
村上区むらかみ。昭和に入り分区し「村上2区」を置く。勝田台北を含む。
神野区かの。
保品区ほしな。
下高野区しもこうや。
上高野区かみこうや。
産業農業490戸、商業53戸、工業47戸(明治42年)。穀類・豆類・蔬菜類および果物を生産する。大なる商店なく全て兼業。工業は醤油および粕である。蚕業は年々隆盛し昭和初期まで続く。桑畑50反あって繭生産高は明治末に300石に達す。漁業は、村内の印旛沼から鯉鯰鰻鱒鮒蝦などあるが専業なし。 官公署村役場米本区。初め、民家を徴し戸長役場にて戸長筆生が事務を執るも、町村制発布されこれを廃し、村長1助役1収入役1および書記2を置く。初代村長・山崎右源太。八千代町編入後は阿蘇連絡所として平成期まで存続した。現況は空き地。 警察佐倉警察署千代田分署阿蘇駐在所(米本区)にて警察事務を執行する。巡査1。 衛生公衆衛生に資するため隔離病舎を設ける(米本区字平澤)。委託診療所にて五十日に出張診療あり。 村会郵便大和田郵便局管轄。のち阿蘇郵便局設置される(米本区)。昭和11年には全村8区に郵便切手売捌所8、郵便函数8。 教育
阿蘇村青年団および阿蘇村女子青年団を置いて、青年層を組織化した。
古蹟・名所
寺社社格分類のうち村社8、無格社33。郷社以上なし。以下は村社である。
正覚寺 - 村上区。釈迦堂には、千葉県指定文化財の木造釈迦如来立像がある。 関連項目 |
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