長嶺豊
長嶺 豊(ながみね ゆたか、1943年11月5日 - 2022年7月7日[1])は、佐賀県杵島郡若木村(現・武雄市)出身の元競艇選手。 長嶺保は弟。 経歴小学校5年の時に大阪府大阪市へ移り、中学時代は野球に熱中したが、身長が思うように伸びず、進学をあきらめ競艇選手になる道を選んだ[2]。長嶺によると「裏街道に行ってもおかしくなかった」というほど荒んだ日々を送った時期もあったが、住之江で競艇のレースを観戦したのがきっかけで一念発起したという[3]。大阪府モーターボート競走会補助員を経て[4]、選手養成所の入所試験に2度目の受験で合格[3]。1963年11月に競艇選手としてデビューし、ガッツあふれるプレーで[5]「浪速のドン」と呼ばれる[3] [6]。一方で「プレッシャーに弱い」とも評され[7]、GIでの勝利数が10を超える一方でSGになかなか勝てなかったが、1993年に第40回全日本選手権競走(戸田)を当時のSG史上最年長優勝記録であった49歳11ヶ月で優勝。50歳目前にしてSG初勝利を挙げ[6]、その時共に涙したファンも数多い[8]。しかし、この記録はわずか4年後の1997年にモーターボート記念を52歳7ヶ月で優勝した安岐真人によって更新された。 1999年の賞金王シリーズ戦(住之江)では地元水面で、初日転覆の憂き目もその後怒涛の5連勝で優出して見せた。2000年4月に創設された「競艇名人戦」開会式で、選手班長として「若いもんがナンボのもんじゃい!」と言って会場を沸かせた。2001年2月15日の若松一般戦で最後の優勝を飾り(5号艇2コース進入)[9]、2003年8月10日の多摩川一般戦「第36回報知新聞社賞レース」で最後の優出を果たした(4号艇3コース進入5着)[10]。2004年5月16日の徳山一般戦「山口新聞社杯争奪 第21回太華賞競走」最終日6Rで最後の勝利(5号艇3コース進入)を挙げ[11]、同日11Rが最後の出走(2号艇2コース進入6着)[12]となった。同年引退。 引退後はJLC解説者[3]・サンケイスポーツ評論家を務めている。 2022年7月7日、腎臓病の悪化により死去[1]。78歳没。 獲得タイトル※太字はSGレース
脚注注釈出典
参考文献
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