長崎電気軌道360形電車
長崎電気軌道360形電車(ながさきでんききどう360かたでんしゃ)は、1961年(昭和36年)に登場した長崎電気軌道の路面電車車両である。
概要老朽化が進行していた木造の2軸単車、および明治・大正期製造の木造ボギー車である160・170形の置き換えを目的として登場した、全金属製の2軸ボギー車で、1961年(昭和36年)に360形7両、翌1962年(昭和37年)に370形7両が製造された[6][7]。 計画当初は、1961年からの3か年に各年7両、合計で21両の増備が計画されていたものの、同社の経営悪化により1963年(昭和38年)に予定されていた7両の新造は実現しなかった[8][9]。残存した木造ボギー車、160・170形の置き換えは1966年(昭和41年)登場の500形や600・700形といった譲渡車の入線で達成されている[10]。 設計には鉄道愛好家の長崎電気軌道社員が携わったことから、方向転換の不要なZ型パンタグラフ、乗り心地の良いコイルばね台車、前中扉の窓配置、蛍光灯の室内灯など、いずれも同社の電車では初めての新機軸を盛り込んだ、斬新なものになった[9][7]。 以下、新製時における360・370形両形式について記述する。 360形1961年(昭和36年)11月に日本車輌製造で7両が製造された。形式名は製造年の和暦である昭和36年に合わせて「360形」となった[6]。 日車提案の設計図面では、在来車の300形を全金属製車体とし、張り上げ屋根にしたスタイルであった[11]が、乗車扉を降車扉方向に寄せた前中扉の窓配置(D4D3)とした[11][12]。なお、11メートルと短い車体長を少しでもスマートに見せるために、扉にかかる部分以外の床下機器に覆いを設けていない[13]。屋根肩部はRがきつく設計され、張り上げ屋根と相まって丸みが強く強調されたデザインとなった[14] 正面窓配置は、西鉄軌道線の1000形を元に[14]、中央の窓の寸法を車体幅に合わせて縮小したもので[15]、正面中央の窓はHゴム支持による固定式、左右の窓はアルミサッシの下降式となっている。 正面の行先表示器は都電に準じた、在来車と比較してやや大型のものが採用され視認性が向上した[15]。また、行先表示器の左右にはカバー付きの通風孔が設けられた[15]。 側面窓配置やデザインは、広島電鉄の2000形を参考としつつ、窓枠にはアルミサッシを採用した[15]。窓寸法も設計に支障が出ない限り大きく取られている(幅950ミリ)[11]。 制御器や主電動機等の主要機器は日車製で、台車はナニワ工機製のコイルばね台車「NK-25」が採用された[6]。 370形1962(昭和37年)に日本車輛で7両が製造された。形式名は360形と同様、製造年の和暦である昭和37年に合わせて「370形」となった[8]。 前年に登場した360形の増備車としての位置付けで、基本的な車体構造や性能も準じているが、360形同士で発生した追突事故(後述)の経験から、バンパーや運転台部分の台枠が強化された[8]。 360形で固定式とした正面中央の窓は通気が悪かったことから、本形式では窓下に通風孔が設けられた[8]。正面行先表示器の上下寸法は360形より拡大され、その左右には尾灯が新たに設けられている[8]。 台車は新たに日車製のコイルばね台車「NS-17」となり[8][14]、その他、排障器や雨樋の形状、屋根上のベンチレーター配置などが360形から変更された[8]。
新大工町における追突事故360形の導入間もない1962年(昭和37年)7月8日、蛍茶屋車庫を出庫中の360形363号が無人で逸走、新大工町付近で先行の360形365号に追突し死傷者12名を出す惨事となった[17]。 事故の当該車両は同年9月に入線の370形と入れ替わる形で日本車輛に回送され修理が行われたが、この際両車の行先方向幕が370形と同寸法のものに交換されている[17]。 改造ワンマン化改造1968年(昭和43年)の370形373号を皮切りに、1977年(昭和52年)までに全車への改造が完了した。改造ではミラーや自動ドア化、放送機器の設置、正面中央窓の一部開閉化、正面左右窓の一部固定化、通風孔の廃止等が実施されている[9]。また、側面行先表示器は使用停止となった[9]。 冷房装置の設置1981年(昭和56年)、370形372号に2000形を除いた在来車として初めて冷房装置が設置された。この冷房装置は長崎に拠点を置く三菱電機が開発したもの(CU-77形)で、372号への搭載は現車試験という扱いであったが、結果が良好であったことから1982年(昭和56年)登場の1200形より本格的に採用され、他形式にも普及した[9]。非冷房で残っていた各車も1983年(昭和58年)から翌年にかけて全車に冷房装置が搭載され、同時に補助電源装置がMGからSIVに転換されている[9]。 行先表示器の大型化(360形)・自動化1985年(昭和60年)には360形の正面行先表示器が自動化・大型化(高さは370形に準じる)され、同時に使用停止となっていた側面行先表示器も復活した[9]。後に370形も同様の改造を施されている。 1980年代中頃には370形の1、2両にFMチューナーが搭載され、車内でFMラジオが流されていた[9]。 運用と現状2019年(平成31年)4月現在、一般営業用として360形7両(361 - 367)、370形6両(371 - 374・ 376・377)の計13両が在籍している[18]。370形375号は2019年3月末付で廃車となった[19]。 371形371・372号は1964年(昭和39年)に日本の路面電車として初めて、車体全体を広告とした全面広告車となった[9]。 2019年現在も、360・370形共に同社のカラー電車Aタイプとして全面広告の対象となっている[20]。 2007年(平成19年)5月と2015年(平成27年)10月に370形375号が、2016年(平成28年)6月に360形362号が公会堂前(現・市民会館)電停付近のポイントで脱線事故を起こしている [21]。 車歴表360形
370形
脚注
参考文献・資料
外部リンク
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