蛍茶屋停留場
蛍茶屋停留場(ほたるぢゃやていりゅうじょう[1]、蛍茶屋電停)は、長崎県長崎市中川一丁目にある長崎電気軌道蛍茶屋支線の路面電車停留場である。駅番号は43。蛍茶屋支線の終点で、2号系統、3号系統、4号系統、5号系統が停車する。 蛍茶屋には車庫(蛍茶屋車庫)と営業所が置かれていて、路面電車の運行上の拠点となっている[2]。 歴史蛍茶屋停留場は1934年(昭和9年)12月[2]、馬町 - 蛍茶屋間の開通と同日に開業した[3][4]。開業より支線の終点である[5]。「蛍茶屋」という名前は、中島川の上流域である当地に茶屋が置かれていたことに由来する[6]。1937年(昭和12年)には車庫[7]、1940年(昭和15年)には営業所が完成した[8]。 年表
構造蛍茶屋停留場は併用軌道区間にある停留場で、ホームは道路(新長崎街道[12])上に設けられる[13][14]。ホームは1面で、複線の線路の間に設けられた島式ホーム[12][14]。路線の起点から見て左側が1号線、右側が2号線である[14]。 蛍茶屋車庫は停留場の先にあり[15]、2本の線路はそのまま伸びて新長崎街道と別れ、専用軌道となって車庫へ入線する[12][13]。以前は車庫に向かって直進していたが、道路の拡幅により軌道が移設されたため、S字にゆるくカーブを描いて車庫へとつながっている[5]。いっぽう停留場の手前、新中川町寄りにはシーサスクロッシングがある[12][13]。 営業所は停留場前にあるビル(NEビル[16])の2階に入居していて、配車室を構える[17]。 蛍茶屋車庫蛍茶屋車庫は長崎電軌の車両基地の一つ。蛍茶屋停留場の先にあり、側線(留置線)を2本備える[12][14]。車庫の上には長崎電軌が所有しファミリーレストランと駐車場が入居するビル(NEビル2[18])が建っている[5]。 車庫が完成したのは1937年3月[19]。茂里町から設備の大半が移され、当初は側線7本・ピット5本を備え車両工場も有していた[19]。戦災による被害も少なく、戦後は蛍茶屋で車両の復旧が行われている[19]。1971年には側線2本を新設、この2本の側線を残して車庫機能は西町車庫へ移された[6][7]。車両工場もこのとき移転、テナントビルと駐車場はその跡地に建てられている[6]。ビルは1986年の完成で、それ以前はゴルフ練習場が営業していた[5][10]。 利用状況長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。 周辺
隣の停留場
脚注
参考文献
関連項目 |