長崎国際ゴルフ倶楽部
長崎国際ゴルフ倶楽部(ながさきこくさいゴルフくらぶ)は、長崎県諫早市にあるゴルフ場である。 概要1951年(昭和26年)、「雲仙ゴルフ場」(1913年(大正2年)開場、設計・B・オーレス)の、米軍による接収が解除された。大洋漁業株式会社社長・中部悦良(長崎放送株式会社社長)は、雲仙ゴルフ場に間借りして「長崎雲仙ゴルフクラブ」を設立した。その3年後、1955年(昭和30年)1月、中部は間借りではなく新たなコースの建設に向け、高射砲陣地跡を用地として、「長崎カンツリー倶楽部」9ホール、2,772ヤード、パー36のコースを開場した。その後、周囲から「あれでは練習場じゃないか」との批評があることから、新たな用地の検討が開始された。 新たな用地に決まったのが、1962年(昭和37年)10月、諫早市飯盛町牧野高原(現在地)だったが、中部悦良の急逝により義弟の大洋漁業副社長・中部利三郎(長崎放送2代目社長)が継承した。建設用地は、1963年(昭和38年)5月28日、ほぼ買収が完了したことから、経営母体「長崎土地開発株式会社」を設立し、代表取締役社長に中部利三郎が就任した。 コース設計は、当初は間野貞吉に依頼することが決まっていたが、中部から「下関ゴルフ倶楽部」(1956年(昭和31年)開場、設計・上田治)、「門司ゴルフ倶楽部」(1934年(昭和9年)開場、設計・上田治)、「廣野ゴルフ倶楽部」(1932年(昭和7年)開場、設計・C・H・アリソン)のようなゴルフ場をとの希望があり上田治に依頼することになった。「日本の代表的ゴルフ場に匹敵するものを造れ」が注文だった。 1963年(昭和38年)9月4日、コースの造成工事が着工され、1964年(昭和39年)9月20日、コースが完成し、18ホール、6,475ヤード、パー72のゴルフ場が開場された。下関ゴルフ倶楽部は中部悦良から途中で引き継いだが、「長崎国際ゴルフ倶楽部は、初めから終わりまで中部利三郎が手塩にかけて造ったゴルフ場」である。 所在地〒854-0054 長崎県諫早市小ヶ倉町51番地 コース情報
クラブ情報ギャラリー交通アクセス脚注関連文献
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