鋤田誠二
鋤田 誠二(すきた せいじ、1965年1月18日 - )は、地方競馬の金沢競馬場所属の調教師、元騎手(騎手時代及び厩舎開業時は福山競馬場所属)である。山口県出身、血液型A型。 騎手時代の勝負服の柄は黄、黒菱山形一文字。福山競馬場の元調教師・元騎手の鋤田久は実父で、中津競馬場の元調教師・元騎手の鋤田嵩は叔父。 経歴騎手時代1982年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、鋤田久厩舎からデビュー。同年5月1日福山競馬第2競走でマロツトパールに初騎乗(9着)。同年5月29日福山競馬第1競走でオークライトに騎乗し初勝利。 1986年、1988年、1989年、1990年、1991年、1998年に福山競馬リーディングを獲得。 1990年、1991年、1993年、2002年にNARグランプリ優秀騎手賞を受賞。 1999年、地方競馬通算1500勝達成。 2005年10月16日第10回福山競馬2日目第9競走伊藤学サヨナラ記念でナイスバンチ(9頭立て3番人気)に騎乗し地方競馬通算2000勝達成。地方競馬では史上61人目。福山競馬場の生え抜き騎手では初の2000勝達成騎手。 2007年1月、鋤田久調教師死去に伴い江口秀博厩舎に所属変更。その後檜山博史厩舎に所属変更した。 同年2月14日第22回園田競馬3日目に実施された第15回ゴールデンジョッキーカップに出場。同日第7競走ファイティングジョッキー賞をレッドインパルスで逃げ切り優勝した(12頭立て5番人気)。続く2競走では下位にとどまり、総合成績は5位[1][2]。 同年3月17日第19回福山競馬1日目第1競走アラ系C212組条件戦をタケゼンで優勝(8頭立て4番人気)し、14727戦目で地方競馬通算2100勝達成[3]。 調教師転身のため、2009年5月31日付けで騎手引退[4]。 地方通算成績は15690戦2191勝・2着2028回・3着1914回・勝率14.0%・連対率26.9%。 主な騎乗馬
調教師時代2009年5月22日、平成21年度第1回調教師免許試験に合格し、同年6月1日付けで調教師免許取得[5][6]。同年7月に厩舎開業。 福山競馬場の廃止に伴い、2013年4月1日付けで金沢競馬場へ移籍した。 地方通算成績は4295戦407勝・2着420回・3着493回・勝率9.5%・連対率19.3%(2021年6月27日時点)。 主な管理馬人物・エピソード晩年は怪我などで存分に活躍はできなかったが、デビュー当初から持ち前の豪腕で名を知らしめ、1985年12月10日に大井競馬場で行われた第31回全日本アラブ大賞典に遠征、道中福山とは違う広いコースで早仕掛けをするも、その豪腕で騎乗したバビロンニセイを5着に粘らせた。 また、自厩舎で多くのレースを勝ち、父である鋤田久との親子鷹で、同年の双方のリーディングを獲得した事が3度ある。さらに他厩舎の勝てない馬に乗り変わると、「馬を壊す覚悟の大勝負」とファンから捉えられるほどの道中で、旧福山コースのきつい4コーナー(2005年にサラブレッド導入に伴い改修)でスピードを緩めずインをハングオンの様に乗る事で、外に膨れずに最短コースを全速で走らせるという荒業を見せていた。 脚注
関連項目外部リンク
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